#32 鳥は知っている!目の前の「1人」見えない「人」どちらが大切
はじめて「カメラ」の付いた「携帯電話」を手にしたとき、意味を見出せませんでした。
一体なにに「カメラ」を使うのかと、まだ携帯電話が「漢字」にすら対応してない時代です。
「SNS」を、ごく最近始めたわたしは、それまで「携帯電話」の「カメラ」は、普通の「カメラ」のサブ的な扱いであり、家族間で何かを伝える時にしか活用していませんでした。
わたしは、そこまで「SNS」に、はまってはいませんが、それでも外出中に気になり「スマホ」を見続け、どこか「無意識」に、この構図で撮影すれば「投稿」できるかなどと、考えてしまうこともあります。
妻も「SNS」をしているので、以前に比べて、あきらかに、外出中の会話や、お互いを撮った写真が減っています。
例えば、旅先で「美味しいもの」を食べて満面の笑みの、楽しい嬉しい感情が伝わる「自然体の写真」よりも、その「美味しいもの」を、誰かに伝えるための「カタログ的写真」が多くなっています。
「伝えるための写真」に必死で、「まわりの景色や・相手の表情」をみる機会が減り、以前より感動が少なくなっているようです。
わたしと妻の「共通の趣味」に「野鳥撮影」があります。「SNS」をはじめる前は、純粋に「珍しい鳥」に、出会えることがうれしく、その「瞬間」を、二人で喜んでいました。
いつしか、「投稿」することを「目的」に、鳥を追い求めるようになり「珍しい鳥」に出会えても、上手く撮影できなければ落ち込む、そんな「他者評価」で、野鳥を追い求めることで、苦痛にさえなっていきます。
では「他者評価」を意識した「行動」を、取るのはいけないのでしょうか?
「アウトプット」とは、「出力」のことで、「話す・書く・行動する」ことです。「インプット」とは、「入力」で「読む・聞く・見る」ことです。
街を歩いていて「これ、おもしろい伝えたい」食事に行き「この美味しさを伝えたい」そう「行動」することで、わたし自身の「インプット」の質は上がったことは確かです。
他者への「アウトプット」は、頭の片隅に置きながらも、それだけに「注力」するのではなく、「今」この瞬間に「今一緒にいる人」にも同じだけの「注力」をする「バランス」感覚が必要だと感じています。
相反する「行動」で難しくもありますが、「今」自分と相手が、楽しく過ごすことを、「画面越しの相手」のために、犠牲にし、「生きづらさ」を増やすことだけは、減らしていきたいですね。
面白いことに「他者評価」を気にして「野鳥」を、探していると全く出合えません。
「今」そこにいる相手と、「今」を楽しんでいると不思議と、「珍しい鳥」が、目の前にあらわれます。結果的に「画面越しの相手」に喜んでもらえる「写真」が撮れています。
鳥たちには、何か伝わるのでしょうかね?(笑)
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