見出し画像

#23 1冊の本が「他人の顔色」を伺う人生の始まりだった

人から「褒められる」ことは、とてもうれしいことですよね。それによって「自己肯定感」も高まります。

一方で、人から「褒められる・認められる」ことが、無意識に「目標」になっていることはありませんか。

私は、ずっと「他人に嫌われること」を恐れて生きてきました。そのため、何をするにも「他人の評価」「行動基準」となっていたようです。

生きることが怖いという人がいる、嫌われるのが怖いという人がいる、生きることに疲れたという人がいる。

そういう人は、いままで、生きるということは、人の期待に応えることだった。

加藤締三著『だれにでも「いい顏」をしてしまう人 嫌われたくない症候群』より引用

幼少期は、「親」「褒められる」ことを、とても「意識」していました。小学生低学年のころ、今は亡き「父」「オセロゲーム」を買ってくれるということで、一緒に外出します。

それまで「親に意見」することは、なかったのですが、「オセロゲーム」より「電車の本」が欲しかった私は、「ゲーム」はいらないから「本」を買ってと意見しました。

その時の「父」の渋い顏が、いまだに思い出されます。私は、父の「期待に背く行動」をしてしまったのです。

「人見知り」で、学校でも、おとなしく「自分の意見」を言わない生徒でしたが、この頃から輪おかけ、「他人」の顔色を伺い、相手の意見に合わせて自分が我慢することで、人間関係を築くようになっていきました。

生きるということが、他人の期待に応えるということになってしまった人の悲劇は、いつも他人に怯えているということである。

加藤締三著『だれにでも「いい顏」をしてしまう人 嫌われたくない症候群』より引用

自分の気持ちを隠し、「他人の意見」に合わせることで、「褒められる」ことが次第に多くなります。「相手の要望」を、全て受け入れているのですから当然ですよね。

気心しれた「旧友」にですら、「相手に合わせる」毎日を送っていましたが、とにかく疲れます。

次第に「本当の自分」を出せる「妻」との時間が楽になり依存し、人との交流を「拒絶する人生」になっていきました。

さすがに、そんな「人生」を変えたく有る場所で「自己開示」をしたことで、考え方に「変化」が現れます。

自分の「趣味嗜好や意見」「自己開示」しても、人が離れていくことは無く、逆に「自分の意見」を言わないことは、その事に「参加」していないことでもあると学びました。

50代向けの「本」ですが、「全ての年代」にも言えることだと感じたので「引用」します。

ほめられることを求めてしまうと、他人軸で生きていかなければならなくなります。

「あの人、すごいね」と思われたいという思考に入ると、他者の目線でほめられるような行動をしなければならなくなります。

結果的に他者の縛りを受けることになります。
人からほめられることを放棄すれば自由になります。

中谷彰宏著『50代でしなければならない55のこと』より引用

私は、まだまだ「他者評価」を気にしてしまいますが、少しずつ解消に向かう過程で「ブログ・メルマガ・ツイッター」の発信も、「自分らしく発信」できるようになり、楽しくなってきています。

「社会的に評価を受けなくてもいい」と思った瞬間から、その人は好きなモノをつくったり、好きな仕事ができるようになるのです

中谷彰宏著『50代でしなければならない55のこと』より引用

とは言え、やはり「他者評価」が、気になる方に---

他人の評価なんてほっといて、自分の感覚を信じろ。
「わかる奴だけわかればいい。
わかんねー奴は黙って見とけ」ぐらいの傲慢でちょうどいいんだ。

テストステロン著『ストレスゼロの生き方』より引用

テストステロンさんは、「他者評価」を、全く気にしないところが、大好きです(笑)

#24「生きづらさ」を感じたら!はこちらから

引用させていただいた「本」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?