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FOLKを忘れていませんか?

 昭和歌謡ブームだそうです。
昨今は、シティー・ポップ・ブームとやらで、80年代の山下達郎や竹内まりや、大瀧詠一などのサウンドが、日本を超えて世界でも、もてはやされています。

 いまどきの日本やアメリカのヒットチャートの曲を聞くと、歌ではなくて音、ノイズに近いものもあって、まだ「歌」が「歌」だった頃の音楽が見直されているのも、わかる気がします。
 私は音楽評論家でもないし、専門家でもないので、リバイバルの理由など、その辺のところは専門家にお任せします。
 が、昭和歌謡ブーム、というのに、GSや歌謡曲やニューミュージックはあっても、いわゆるフォーク、と言われたジャンルの歌がほとんど入っていないのはなぜなんでしょう?

 60年代末期から70年代後期にかけて、新宿西口のフォークゲリラなど反戦運動や社会的に影響を与えた音楽と言えば、やっぱりフォークとロックではなかったかと思います。が、やっぱりマイナーな存在なんですかね・・・。あ、そういえば曲調も70年代はマイナー(短調)な曲が多いな。

 でもね、今までプロの歌手や作詞家・作曲家の専有物だった「歌」を、お金もない、歌も上手じゃない、見てくれも悪い素人の若者たちが、アコースティックギター1本あれば、自分たちの想いを歌にして作り、人前で歌えたのがフォークなんですよね。まるで昔の庶民が歌っていた、田植え歌や労働歌のように(たとえが古すぎるか 笑)。

つまり、表現としての「歌」を、プロから素人の手に取り戻したのがフォークだったと思うんです。


 今はギターが弾けなくてもコンピューターの中で簡単に作曲できますし、AIを使えば、歌まで唄ってくれます。だれでも簡単に歌が作れる時代にもかかわらず、でも、なんだかそこに「想い」がこもっていないんですよね。歌わずにはいられないという、あの70年代初頭の頃の情熱が、感じられないんです。

 歌(音楽)は配信で簡単に手に入り、いつでもどこでも高音質で聞けるし、お手軽な存在になっちゃいました。それはそれで便利でいいのかもしれません。
 一方フォークの歌などは、放送禁止的な内容もあったり、マイナーな、今でいうインディーズによる発売だったり、あえてマスコミに出ないことで「反体制」的なスタイルを貫いたりしてましたから、パソコンもスマホもない時代、テレビの歌番組にはまず出てこないし、聴きたいフォークの歌を聞こうと思ったら、ラジオの深夜番組か、野外コンサートで聴くしか方法がなかったんです。

 人気のあったごく一部のフォークシンガーたちは、メジャーデビューして手の届かないところに行っちゃうし、一方ではカリスマ的存在になって、これもまた手の届かない存在になっちゃうし、要するに、一旦素人の手に戻った「歌」が、再びプロの世界に吸収されてしまったんですね。

 私自身の話で恐縮ですが、小学生時代、ローリングストーンズやビートルズなどの洋楽で音楽に目覚め、でもベンチャーズやエレキブームには何か違和感を感じ(演歌の匂いがした)、GS(グループサウンズ)は、それらを和風にした偽物感が好きになれず(大体あのお揃いの王子様っぽいファッションが気持ち悪かった)、その対極にボブディランのギター1本とハーモニカにダミ声で歌うプロテストソングがあって、心惹かれたのです。(私の音楽的本質は南部黒人ブルースなのですが、当時はまだその存在にたどり着いていなかった)

 フォークと言っても、PPM(ピーター・ポール・アンド・マリー)やブラザーズ・フォー、ジョーン・バエズといったきれいな歌声の「カレッジフォーク」は今一つ付いてゆけず(あんなにきれいに上品に歌えない)、マイク眞木や森山良子といった日本の初期のフォークシンガーは、それらのコピーであまり好きになれませんでした。
 やっぱ関西系の、フォーククルセイダースや岡林信康、高石ともや、五つの赤い風船、関東では高田渡、加川良など、ドロ臭くてもオリジナル曲を歌ってくれる人々が、私たちの魂を揺さぶる身近な兄貴的存在でした。

 1971年、中2の時に初めて安いアコースティックギターを親にねだって買ってもらったら、いきなりオリジナル曲です。生意気です。
 中学卒業の段階で100曲以上。歌が下手でも、シンプルなコード進行でも、自分の気持ちや想いを自分で歌にして自分で歌える、というのは本当に素晴らしいことで、夢中になりました。表現の楽しさを知ったのです。
 一方で、当時流行っていたROCKにも、フォークと同じようなドロ臭さを感じて、クラスの友人たちと、よくセッションしたものです。が、さすがにエレキを買う金もなく、ROCKの曲を作る腕もなく、コピーに甘んじていました。

 高校時代も曲つくりはライフワークとして続き、友人と組んでオリジナル曲を演奏し、カセットテープに録音したりしてました。ギターが2本あると、表現の幅がぐっと広がるんです。学園祭にも当然出ます。オリジナル曲はフォークで、ロックは友人たちとのコピーで。


 
 1976年に大学に入るわけですが、当時すでにフォークは、小汚い地味な存在になろうとしていました。ユーミンなどから「四畳半フォーク」などと蔑まれ始めた頃です。
 まだ「風」や「ふきのとう」などがバリバリの頃ですが、どちらかと言うとメジャーな音楽業界に飲み込まれて、歌謡曲に吸収されていってしまったのです。
 
   私もせっかく東京の某私立大学に入学しながら、入ったサークルは「でらしね音楽企画」という、オリジナルフォークを地味にコツコツやっている貧乏サークルでした。同じ大学に竹内まりやや杉真理のいる「リアルマッコイズ」というオシャレなシティーポップ(当時はニューミュージック的な感じ)のサークルもあり、そこに入っていれば、その後の人生は違ったかも・・・てなことはないな。でも、まだ竹内まりやさんは在籍していたんですよ。キャンパスでたまに見かけました。

 で、そこで私は歌の上手い1年先輩の人と二人で、オリジナル曲のフォークデュオを結成し、横浜や東急沿線のライブハウスなどで歌わせてもらっていました。もちろんあくまで素人ですが。そして、毎回聴きに来てくれる人も、ほんの少しですが、いました。

「天秤座」1976年

 

 あれから幾星霜。先輩も私も随分歳を取りましたが、昨今の味気ない「歌のようなもの」を聞くにつけ、オレ達が歌いたい歌を、もう一度やってみてはどうだろう。
 ひょっとしたら、そういう歌を聞きたいと思っている奇特な人が、数は少なくても、日本全国津々浦々にまだいるんじゃないか?
 ここで一念発起しようじゃないか!まだ命のあるうちに。声の出るうちに。
 なぜって、フォークの良さは、素人がギターだけで(別にオーケストラをバックにつけてもいいですが)オリジナル曲を作り、自分の気持ちや想い、メッセージを歌える、素晴らしい表現ツールなんですから。そう、

もう一度素人の自分たちの手に「歌」を取り戻そう!


 そんなプロジェクトを始めたのです。
70年代後半のあの頃、ライブハウスで歌っていた歌や、その後の45年間の間にも、コツコツ作って来た、自分たちの想いのこもった歌を、もう一度形にして、それを求めている人に届けることはできないかと。

 300曲近いレパートリーの中から、15曲程度を私が自宅の安い機材で、アコースティックギター、エレキギター、ベース、キーボード、ハーモニカ、コーラスなどを録音(いわゆる宅録ってやつです)。
 先輩のボーカルのみ、友人の森さんの自宅スタジオをお借りして録音。現在、森さんにもアレンジをしてもらいつつ、鋭意MIX作業中です。
 あくまで素人ですから、経費は全部自分たちの自腹。みんなそれぞれに仕事があるので、その合間に少しずつ進めて、ここまで来るのに足かけ3年。
 全くオシャレでなく、カッコよくもなく、踊れる音楽でもなく、地味で、時代遅れだけど、まぎれもなく自分たちの言葉と自分たちの想いを綴った、プロにも他の人にもない「自分たちの歌」。今年中には発表できるといいな。
 もし完成したら、聴いてくれる奇特な人はいるのでしょうか?たった一人でもいい、心に響く人、気に入ってくれる人がいたら、それが私たちの最高の幸せです。 

FOLKを忘れていませんか?


文責:「天秤座」1976~2023 増田達彦