【新約:ゲッサンミリオン解体新書 ~彼女らはどうしてアイドルなのか~】

【抄録】

 ソーシャルネットワーキングサービス上で展開を開始した『アイドルマスター ミリオンライブ!』は、2023年で10周年を迎えた。今再び、上のコンテンツの盛り上がりに加勢して、そして「#ミリオンライブはマンガも本気」という掛け声に応じて、雑誌『ゲッサン』で連載されていた『アイドルマスター ミリオンライブ!』を取り上げ、独自の観点から解体、解析していく。私の執筆キャリアの中で、最も強く影響を与えたといっても過言ではない当作品を、「彼女らはどうしてアイドルなのか」という大きな問いに結論を下すために、『アイドル』、『友情』、『夢』という3つのキーワードから考察していく。

 考察のため、当作品の内容について触れる部分が多々存在する。本文を読む前に該当作品を読了することを強くお勧めする。しかし、本文をきっかけにこれから読もうと思ってくれる人がいるのであれば、それもまた本望だ。いずれにせよ、以下には多くのネタバレが含まれることを忠告しておく。
 また、この文章は形式上「だ」「である」等の言い切りを用いるが、この記事が「これがゲッサンミリオンに対する唯一の回答である」ということを主張しているわけではない、ということを確認しておく。あくまで「私はこう読み取ってこう解釈することで、このような視点を新しく得ることが出来た」ということを記すつもりでいる。自分がどう感じるかは当人しか分からないことであり、だからこそ自分以外の誰かが何を感じているのかを知り、伝えることは、新しい作品の魅力を開いてくれるのではないかと考えている。
 以上のような目的の上、考察を記したいと思う。




【序:当作品についての前提知識】


 漫画『アイドルマスター ミリオンライブ!(以下ゲッサンミリオン)』は、2014年8月号の小学館雑誌『ゲッサン』から連載が始まった作品だ。作者は門司雪氏。話数は24話に加えて特別編が3話、単行本にして5巻分である。約2年の連載を経て最終話を迎えている。

 当作品は主に、原作ゲーム『アイドルマスターミリオンライブ!(以下ミリオンライブ)』のセンターを含む、それぞれのイメージカラーから俗に「信号機」と呼ばれる三人を主軸に話が展開されていく。具体的には、春日未来、最上静香、伊吹翼の3名で、単行本指標で第1巻及び2巻では春日未来と最上静香にスポットが当たり、続く第3巻では伊吹翼がメインに据えられている。更なる第4巻では3人の合流、そして各々の目標や将来について深堀りされていく。

 ゲッサンミリオンは今でも根強い人気を誇り、特に2021年に発表されたCDシリーズ最終作「MTW 18」では上の信号機3人が抜擢され、公式からもゲッサンミリオンとの繋がりを暗示する演出が見られた。ミリオンライブの歴史、とりわけ信号機の3人の歴史を語るには欠かせない存在こそが、このゲッサンミリオンなのである。



【本論I ~それは、女の子達の永遠の憧れ~ 】


 近年、一般的な用語としてよく耳にする「アイドル」。直近ではYOASOBIの曲が世界を圧倒している様子だが、今回は一度「アイドルとは何か」まで遡りつつ、ゲッサンミリオンで描かれたアイドル像を解釈していこう。
 アイドルは元々英語の「idol(偶像)」に由来していることは有名な話だ。英語圏では宗教的な意味合いも強い言葉である。
 アイドルマスターシリーズ全般に通しても、アイドルは往々にして「女の子の憧れ」と書かれることが多い。そして例に漏れず、ゲッサンミリオンでもまた然りである。
 単行本第1巻では、春日未来がアイドルに憧れてから、実際に事務所に所属し、最初のライブに出演するきっかけまでが描かれる。このとき春日未来は、舞台上に立つ最上静香に目を奪われたことをきっかけにアイドルを志望したのだから、まさしくその動機は「憧れ」と言えるだろう。
 また、最上静香についても、幼少期にテレビに出演していたアイドルの真似をしている過去が描かれており(第8話『クレッシェンド・ブルー』参照)、これも一つの「憧れ」だろう。伊吹翼について言えば「星井美希」という先輩アイドルへの憧れも強く見受けられる。
 さて、古典的な定義はこれで終わりだ。これからは、この作品に於いて、アイドルという言葉が独自に示している要素について分析してみよう。
 アイドルマスターシリーズと他のアイドル系作品を差別化するときに、アイドルという言葉が持つ意味を考えるのであれば、アイドルマスターシリーズで描かれるアイドルは「職業」という面が強い。それはミリオンライブでも同様であり、本編に於けるキャラクターたちの大きな目標は、多少極端ではあるが、劇場に人を呼び込むことにある。
 そして、当作品に登場するキャラクターは主に「学生」である。中でも主要人物の3人は共に中学生だ。中学生から高校生にかけて、つまりは思春期の渦中である。人が自分の本質や将来について予期し、対応し、苦悩するようになる時期に生きている。そして同時に、人はそうしたときにたくさんの失敗を重ねていく。

 学生であればアルバイト程度のイニシエーションは通過するだろうが、「アイドル」となれば話は別だ。彼女らは10代半ばにして、本格的に芸能界に足を踏み入れている。芸能界、特に公衆への露出が多いアイドルとなれば、成功と失敗にシビアであることは自明だ。
 「複雑で曖昧な感情に突き動かされる年代の少女たち」と「職業としてのアイドル」は、お互いにナイフの刃を突き付け合うように、相克するステータスだと言えるだろう。そしてその影響下に、最も強い状態で置かれていた人物こそが最上静香であった。
 静香は父親の反対を掻い潜ろうと力を尽くし、強い自立心を持っていた。そして、彼女は職業人としてのアイドルに対して驚異的なストイックさを見せた。しかしその余裕の無さがまさに、少年時代には誰もがそうであるように、自分のことを俯瞰出来ない事実を表してしまっている。これは決して善悪の問題ではない。これが彼女なりの思考、彼女なりの思春期という現象だった。
 作品内、静香に落とし込まれた印象は、「悩みという思春期の影」だった。一方で、それと対照的に描かれている人物が春日未来だ。当作品内の主人公であり、そして静香の親友となる人物である。
 未来は静香と違い、家族からの反対を受けていない。彼女は作品中で劇的な行動力を見せ、物語の展開にも一役買っている。そんな未来が示していたのは「行動という思春期の灯り」だった。環境と立ち位置に抑圧されていたように見える静香とは正反対に、周囲の事象や環境に開けていく、開放されていくような人物であった未来。本編で『職業として過酷なもの』とされているアイドルを、気圧されず一途に追い続ける未来の姿は、少年時代に誰しも持っていた「”夢”への憧れと一心不乱な信条」をそのままの純度で映し出している。
 ここまで来ると、少しずつこの作品内で『アイドル』という単語が持つ役割が見えてくる。少女たちの永遠の憧れ(偶像)であるアイドル、そして若き少女たちの現実感を伴う職業としてのアイドル、この双方向からのアプローチにより、少女たちの本質を、言い換えるとすればちょうど思春期を迎える若者たちの本質を、もう少し拡大して一般化すれば「苦悩する人間の」本質を炙り出しているのではないだろうか。
 男女が均された社会でこのようなことを言うのも角が立つかもしれないが、自身の経験則としても、「男性」よりも「女性」のほうが繊細な思いを描きやすい。そして特に、中学生という年齢は、小学生ほど子供ではなく高校生ほど大人ではない。その境界にいるのが、本作で描かれるアイドルたちだ。
 子供と大人の間で揺れる少女たち。子供たちが持つ人の原始的な性質と、その転換期に発生する苦悩と成長。そのメタファーこそが彼女らであり、そこから最も美しい形でその性質を分離し、表現することが出来る数少ないツールこそが、当作品にとっての『アイドル』だったのだろう。



【本論II ~夢を描くこと~】



1,君との明日を願うから ~関連曲から汲み取る、彼女らの思い ~ 


 ゲッサンミリオンだけでなく、ミリオンライブシリーズを通して重要なテーマになる『夢』。その本質を、この漫画から読み取ることが出来る。そしてその大きなカギとなるのが、ゲッサンミリオンに関連している曲群の存在である。
 まず外せないのは、単行本最終巻に付属する(現在ではサブスクライブ音源が解禁されている)一曲、春日未来、最上静香、伊吹翼の『君との明日を願うから』だ。この曲の歌詞から、3人の思いを、そしてメタ的に見れば「3人に込められたメッセージ性」を感じ取れる。
 さて、この曲が歌われた背景を簡単に要約する。第1巻で未来へ表明した「武道館で歌う」という夢(第4話『かけがえのない夢』参照)を、もうすぐ実現しようとする静香。しかしそれは、自分を応援し、共に活動してきた未来との「一緒にユニットを組む」という約束を守れずしての実現だった。親友の約束を守らない形で夢を叶えたことに後ろめたさがある静香。一方で未来、翼は「静香が夢を叶えるために、自分たちのもとから離反すること」を前向きに捉えながら尽力するも、大切な友人が一人欠けてしまった状態で、特に未来にはネガティブな効果を生んでしまっていた。
 そしてついに、横山奈央とプロデューサーの計らいによって再開する静香と未来。そこではじめて「アイドル」「友人」という建前を無しにして、お互いの本意を打ち明け合う。
 静香の武道館ライブ。そこでは劇場での未来と翼のライブが中継されており、ビデオ中継という形で3人でのライブを実現した。その直前、振り切れないままでいる未来を牽引したのは翼だった。
 そしてそのライブで歌われた曲が『君との明日を願うから』だった。歌詞の歌い分けはそれぞれの本編内での出来事や心情の変化を象徴するものである、という事実は、ゲッサンミリオンを既に読んだことがある人間なら容易に理解出来る。今回はより包括的に、この曲を解釈する。
 その解釈に更に必要となるのが、序章で述べた「MTW18」の収録曲『ABSOLUTE RUN!!!』と『Be proud』の2曲だ。本編でもその存在が仄めかされており、楽曲収録という形での5年越しの伏線(第16話『同じ歩幅でどこまで行こう』参照)回収は、たくさんのプロデューサーを驚かせたことだろう。ということなら、この2曲もあの世界で歌われた、あの世界の3人の曲と言っても良い。
 まずは『Be proud』。歌詞中には「ありがとう」という言葉が頻出する。これはプロデューサーに向けたものでもあり、お互いメンバーに向けてのものである。そして注目したいのが、1番Bメロの「自分のために歩めてるかな」だ。次の章の友情編で紹介するが、この作品の最終的な結論は『自立』だ。彼女らは仲間のために生きるのではなく、仲間と自分のために努力するという道を見出した。その事実が、まさにこの歌詞に表れている。
 他、着目したいところがある。先の自立に伴って、この歌詞はユニット曲とは思えない「孤独」を抱えている。まず歌詞の始まりが「いつもの窓に いつもの景色 何故だろう 涙がこぼれる」である。この涙は「孤独ゆえの涙」という解釈が出来る。ユニットの仲間への思いは「一緒にいてくれてありがとう」ではなく、「孤独な私の背中を押してくれてありがとう」だ。「ユニット曲としては異常なほど、個人にスポットを当てた曲だということが分かる。
 次に紹介するのは『ABSOLUTE RUN!!!』だ。『Be proud』の解釈を前提にして読んでいくと、これもまた一際孤独である。まず、サビ頭が「ここだよ 私はここにいるよ」だ。自分の存在をがむしゃらに叫んでいる。これはまるで、遠くの誰かに自分の存在を伝えるようではないだろうか。
 また、同じくサビからは「見つめたのは 一緒に見たい景色」、2番頭では「今も覚えてる?」、ラスサビでは「いくつ言葉を重ねてきただろう」「ぶつけ合った日々を越えて」。それぞれに共通しているのは、過去を連想させるということだ。3人の「ぶつけあった日々」は、今より過去のものであると読み取れる。これは現行しているミリシタの内容と重ねると違和感があるが、ゲッサンミリオンの中の3人にとって、この曲が歌われたライブは当初「3人で出来る最初で最後のライブ」だった。
 更に追い打ちをかけるのが、2番サビのラスト「それぞれ違うステージへ 導くの」と、そのあとに続くDメロ「ひとりだけど 孤独(ひとり)じゃない」である。驚くことに、彼女らはその別れを受け入れて、歌として歌っているのだ(これも詳しくは次編で解説する)。「一緒にいることだけがこの3人の強さじゃない」という結論を下した3人を体現する、素晴らしい歌詞だ。
 最後に、『君との明日を願うから』だ。以上2曲から分かる通り、この曲の歌詞を改めて見ると「別れの曲」であることが分かる。それはDメロ「挑む瞳は はなれていても ちゃんと一緒だから」に代表されて、一曲を通して「過去を懐かしみ、別れの先にある決意」を描いていることを汲み取れる。そうすると、その直前「難しいシーンだって迷わず ぶつかってみたいよもっと」という反実願望的な歌詞が、どれだけの哀愁を漂っているかも、理解できるだろう。
 しかしそれは、決して後ろ向きな曲だということではない。歌詞の最後は「次のStangeもまだその次も つかまえるよ・・・ 同じ夢!」である。気づかなければいけないのが、この歌詞は彼女らが「夢を手放してしまうこと」が前提になっているということだ。お互いの弱さに気づいた3人だが、その弱さに打ち勝つために仲間を思い出す、ということ。それもまた、この3人が成長の果てに見つけた真実だったのだろう。
 そしてこの曲のタイトルに含まれている通り、歌詞には「願い」が含まれている。歌詞に含まれている3人のこれからについての歌詞は全て「願望」という形で書かれている。例えば、「いつだって一途に願おうよ そしてまた輝き合おう」「だから平気さ 君と行くんだよ キラめきを・・・ 届けるよ!」等々だ。もう一緒にいられない3人。されど、いつまでも大切な仲間である3人。別々の場所にいても、志は同じだという決意。それこそがこの曲に込められたもの、すなわち「別れと願いへの思い」である。
 まとめると、これら作品群は、3人の「これが最初にして最後のライブであるという事実」を背景に「もっと一緒にいたかったという反実願望と、離れ離れになっても心は共にあるという決意」を、それぞれのアプローチから表現していると言える。このことを念頭に、もう一度これらの曲を聞いてみてほしい。新しく感じ取れる様々な思いがきっとあるはずだ。この曲は、ありふれた「前向きに頑張ろうという曲」とは一線を画している。
 最後に。この編のテーマは『夢がどう描かれているか』だ。一見、話題に全く出てきていないようではあるが、『君との明日を願うから』の歌詞には何度も『夢』が登場する。先の言葉を反復すると、「もっと一緒にいたかったという反実願望と、離れ離れになっても心は共にあるという決意」。ではどうして、彼女らはそのように居られるのか。彼女らを繋いでいたのは「立ち位置」ではなく、その志、つまり『夢』だったのだ。作中で語られる『夢』の役割は、ずばりそこなのだ。
 アイドルの原義が持つ『憧れ』という側面に対する『夢』。そして、空間的断絶を超えて3人が仲間であるための『夢』。その夢が指すものは、3人がそれぞれ考える「理想のアイドル像」としての夢でもあり、またいつか叶うかもしれない「3人でライブをする」という、少女たちの儚き願いでもあるのかもしれない。

2,プラリネ ~ もうひとつの夢の姿 ~


― 夢は目を開いてみるものと あなたが教えてくれた ―

 多くの読者の心に残った、ゲッサンミリオン第3巻。そして、ミリオンライブの伝説として刻まれた『アイル』という曲の存在。しかし今回は、アイルの解説は敢えて差し控え、この曲に大きな影響を与え、また影響を受けた曲『プラリネ』に少しだけ触れる。
 アイルの前話の題は『プラリネ』であった。しかし劇中、一度も『プラリネ』は歌われていない。だとすれば、この話そのものが『プラリネ』に関わっていると考えられる。
 第3巻では主に伊吹翼の成長が描かれているが、同時にジュリアの成長も描かれている。ジュリアは伊吹翼の「無邪気な願い」と自分の過去を重ね合わせながら、将来に夢見る翼を見て「綺麗な目だ」と呟いている。
 ゲッサンミリオンがもたらした新たな概念が、このプラリネへの解釈だ。長らく、歌詞が指す「あなた」にまつわる解釈が揺らいでいた。そこに新たな一石を投じたのが、このゲッサンミリオンだ。つまるところ、本編の描写を見るに、この歌詞が指すあなたとは「伊吹翼」その人であり、この曲そのものが伊吹翼へ伝えるための曲なのではないかという解釈だ。
 これもまた「正解の一つ」に他ならないが、それでもこれが「少なくとも正解である」ということも間違いではないはずだ。わざわざあの回を『プラリネ』と題し、伊吹翼とジュリアのアナロジーを表し、最後のジュリアと翼の会話の内容から察するに、この曲はジュリアの曲であり、そして伊吹翼への曲でもあるのだ。
 そう思って聞いてみると、これまた新しく見出せる解釈がたくさんある。「”まだ”あたしにだって子供みたいに信じる力があるよ」「ほらあたしにだって出来ることが少しずつ増えていくよ」。奔放で多才な翼に対する言葉でもあり、伊吹翼をきっかけに「アイドルとは何か」を見つめ直したジュリアの言葉でもある。「未来はきっと子供みたいに信じるほどに光るよ」は、自分への投げかけでもあり、いつまでも子供のように純粋な夢を見続ける翼の背中を押す言葉でもある。
 ジュリアと伊吹翼の関係性、しかもそれはソロ曲に新たな価値観を見出すほどの影響力を持つもの。それだけ大きな力と表現力、そしてメッセージ性を、このゲッサンミリオンは持っていたということが、またひとつ分かった。



【本論III ~それぞれの瞳が願うのは~】


 ゲッサンミリオンにおいて、3人を繋ぐものは『アイドル』という職種的な関わりだけではない。同世代の少女としての友情もまた、大切な関係性だ。
 本論Iで述べたように、『アイドルもの』は人の本質に迫る最も優れたアプローチである。そして今回ゲッサンミリオンが実際に迫った本質が『友情』である。
 最初、未来は静香に惹かれてアイドル業界に入ってくる。最初はただの事務所の「先輩」「後輩」であった二人。それが次第に「友情」として打ち解け、また第2巻では「ライバル」という一面も見出された。
 ここで投げかけたい重大な問いがある。これは、この物語に関わらず、現実問題としてもたびたび取り上げられる、人の生活に最も身近な問いだ。

「友情は有効であるか」

 友情に対して「有効」という言葉を用いる例は少ないだろうが、このように表現するほかない。「有意義」「無意味」という話ではない。意味や目的について考えるなら、友達がいることでのメリットデメリットを挙げるだけでよい。しかし実際問題は、それが「どのような効果をもたらすか」だ。つまり、意味を考えた先、良い点悪い点の吊り合いを見ながら、友情とはどのようなものか、その本質吟味する必要がある。
 物語的な転として用いられることが多い「共依存」という言葉。恋愛や友情を揶揄するときに用いられる言葉だ。そしてこの問題は、ゲッサンミリオンにおいても取り扱われる。
 静香と未来はともに友人として成長してきた。しかし、静香の武道館へのオーディションをきっかけに分かたれた2人は、少しずつ活動に支障が出始めてしまう。
 第2巻までで、2人はたしかに「友情を深めることが出来た」だろう。それは間違いなく成長と呼べることだ。だがもしそれが、彼女らの足を引っ張っていたら。そして事実、彼女らはともにいなければお互いの真価を発揮できなくなっていた。これは「一緒にいるから強くなれる」の裏表だ。「一緒にいないと強くなれない」という点を、人は見落とす。なぜなら、そこに目を向けたとき、「友情の必要性」を再び考え直し、「友情は必要ない」という結論に至った場合には、その関係性を断ち切らなければ筋が通らないからだ。
 この事実を理解していた登場人物が劇中にいた。それが北沢志保だ。第2巻、彼女が静香と未来に「ライバルという新たな関係性」を示した目的は、その「友情が孕んだ危うさ」に対して、彼女なりの気遣いがあったからだ。そして実際に二人はライバルとしての一側面を持つことが出来たが、それでも「友情」という関係性から脱却することは、当然無かった。
 なぜなら、友情とは目的があって生まれるものではないからだ。友情とは、接している人と人の間に自然に発生する温かみであり、現象の一種である。だからこそ、その現象に影響や結果がついてくる。一度友達になったものを無に帰すなど、到底出来ることではない。だからこそ静香と未来に残された選択肢は「弱さを克服すること」だけだった。
 最終巻、2人は事務所の屋上で本心を打ち明け合った。ここで本論Iで述べた『職業としてのアイドル』が、2人の純粋な関係性を外部から修飾するギミックになっているのが、実に巧妙である。
 そしてもう1つ、彼女らの友情を修飾するものが『夢』である。静香は自分の夢を叶えるために、約束を破らざるをえなかった。彼女は自分の夢を叶える代償に、「未来との今までの友情関係」を、一旦遠ざけざるをえなかったのだ。
 二者択一、心理的に二律背反な彼女らの葛藤。2人の友情を遮るようにして差し込む、目がくらむようなあまりにも眩しすぎる光。それが2人を、現実的に分断していた。
 『アイドルという立場』、『叶えたい夢』。かつては彼女が望んでいたものが、いつの間にか友情を奪い取ってしまった。そのような人の自己矛盾が、ゲッサンミリオンが真に抉った事象だ。
 だが、2人は友情を諦めきれなかった。もちろん、分かたれているという事実は悲しかったが、夢を叶えるためにはそれしかない。未来は静香のファンとしてではなく、同じアイドルとして、彼女と同じステージに立てないことに涙を流した。静香は今までの『職業人としてのアイドル』の姿ではなく、また『理屈に生きる努力家』の姿でもなく、未来の友人として、そして夢見る少女として、未来と離れ離れになることに涙を流した。
 しかし、涙の先には決意があった。それは本論IIで述べたような、最後のライブの曲中に、華やかに、鮮明に表れている。彼女らが下した結論は「一緒にいるだけが友達じゃない」というものだったのだ。
 一緒にいることでは叶えられない夢があるという、過酷な現実を知ってしまった、まだ中学生の少女たち。それでも彼女らは、前に進むことを望んだ。それは、未来が静香の『夢』を、誰よりも応援していたからに他ならない。最初は、自分の弱さを隠し通すために応援の姿勢を見せていた未来(第21話『約束』参照)だったが、静香との再会を経て、「自分が頑張ることで誰かを応援していることになる」という側面にも気づいた。そのことは『ABSOLUTE RUN!!!』や『Be proud』に込められた、孤独であっても自分を奮い立たせる歌詞の通りである。
 「繋がっているから頑張れる」のでは、共依存のままだ。弱いままだ。だから2人は、否、その2人のことを誰よりも近くで見てきた伊吹翼も含めた3人は、「それぞれ頑張っているからどこかで繋がっている」という結果を導き、友情が持つ唯一の負の側面を克服した。

 ゲッサンミリオンが示した友情の本質、究極な在り方。実は、それは『一緒にいるから強くなれる』ような関係でも、『隣により沿ってくれるから頑張れる』関係でもない。『強くなりたいと願うからこそ一緒にいると感じられる』、『頑張っているから隣にいてくれるように思える』ような、空間的な距離を超え、支え合いという共依存を超えた、輝かしい関係性。だからこそ3人は共に過去を見て、共に未来を見ている。3人は友達だから共にいる明日を願うのではなく、『君との明日を願うから』共にいる友達なのであり、仲間なのだ。




【結:どうして彼女らはアイドルなのか】


 ここまで、ゲッサンミリオンに描かれた『アイドル』『夢』『友情』を拾いながら、その目的や役割、意味について考えてきた。最後、「どうして彼女らはアイドルなのか」に対して、簡潔に結論を下そうと思う。
 そもそも「どうして彼女らはアイドルなのか」という問いは曖昧だ。それは「彼女らがアイドルになった動機」とも読み取れるし、「彼女らがアイドルとして生き抜くエッセンス」とも読み取れる。はたまた、メタ的に「彼女らがアイドルである必要性」とも解釈出来る。今回はその全てに答えを見出す。
 まず、「彼女らがアイドルである必要性」については、本論Iで下したとおり、「思春期の少女が思い描き、生き抜く姿や精神こそが、人の性質を最もよく表せるから」である。「彼女らがアイドルになった動機」は全て、本編に書かれたような情報その通りだ。
 では最後、彼女らをアイドルたらしめるものは何か。
 最終巻、ライブを終えた春日未来。春日未来はそこで、自分の活動を振り返る。そしてついに未来は、自分なりの夢、それは静香がそうであったように、翼がそうであったように、自分が一人の人間として強くなるための夢を見つける。「トップアイドルになること」。それが最後に、彼女が下した結論だった。春日未来にとって、『夢』とは、『アイドル』そのものだった。
 未来がそう願ったように、彼女らが夢を追い続けてアイドルとして生きていける理由。それは「会えない友達がどこかで頑張っているから」だ。今は会えないけど、いつかまた会えるかもしれない友達に、また笑って会えるように。「友達と一緒にいたい」という願いは、背中を押してくれるものであると同時に、将来に寄せた淡い期待でもある。いつかあり得るかもしれないステージのために、彼女らは同じ『アイドル』という世界の中、少しずつでも成長している。
 「みんなに会いたい」という、ただそれだけの願い。彼女らが友達であるための条件こそが『夢』と『アイドル』だった。だから、彼女らはアイドルなのだ。少女たちの儚くてか細い、だけどどんなものよりも一途で強力な願いを繋ぎ続けるもののために、これからもいつまでも、彼女らはアイドルで居続けるだろう。
 最後に。このメッセージを全て読み終わったあと、もう一度あの3曲を聞いてみてほしい。彼女らの願いが、以前よりもずっと鮮やかになって聞こえてくるはずだ。そして、何かに行き詰まり、苦しみを感じたときもまた、この曲を聞いてほしい。この3人が持つ、人の願いへのメタファー、「大切な何かを繋ぎとめるために頑張ろう」という、誰もが胸に抱く情熱を、再び思い出すことが出来るはずだ。

 拙い言葉ではあったが、ここまで1万文字以上を読んでくれたプロデューサーのみなさん、そしてまだプロデューサーではないみなさん。ここに記した考察は、ゲッサンミリオンに登場するほんの数人に絞っただけの、しかも無数にある答えのうちのひとつに過ぎない。だから、たくさんの人にゲッサンミリオンを読んでほしい。そうすることで、僕がそうであったように、新しい人生のエッセンスを感じ取ることが出来るかもしれない。


 そして改めて。

 この漫画に救われた人間として、このような素晴らしい漫画を描いてくださった門司雪先生。そして、私の人生の一部となって心を支えてくれたアイドルマスターミリオンライブ!、及び52人...いや、54人のアイドル達、そして2人の事務員さん、社長。感動を与えてくれた全ての人に、感謝を伝えます。ありがとうございました。



birdeater

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?