バスケW杯を見て感じた「流れ」について
先日まで行われていたバスケW杯は、本当に楽しませてもらった。
歳を重ねるごとに、色んなスポーツを観戦することがとても好きになってくる。
全ては、サッカーにも通づるものがあるんじゃないかという好奇心。
バスケ日本代表の歴史を全く知らなかったから、コートの選手たちと一緒に喜べなかったのが悔しかった。
ヨーロッパ勢に勝ったことがないことを知っていたら、、と後悔したので、何かのW杯が行われる時は、多少下調べをしようと思った。
日本戦しか見ていないが、僕が一番強く感じたのは、バスケには「流れ」というものが、確実に存在すること。
シュートが入らない時はとことん入らないし、入り出すと面白いくらいスポッと入る。
富永選手の3ポイントなんかは、乗り出すと入る気しかしてこなかった。
一見厳しいんじゃないかと思う点差も、流れによりあっという間に縮まってしまうのは、見ていてワクワクもしたし、ヒヤヒヤもした。
サッカーにも流れがある、と言われている。僕はそれを否定してたわけではないが、若干抽象的な気がして、あまりしっくりきていなかった。
でも今回のW杯を観戦して、正体が少しわかった気がする。
それは、味方、敵1人1人の「ちょっとしたメンタルの浮き沈みの積み重ね」によりできるものなのではないか?
実際に、こんな例がある。
サッカーの2点差というスコアは、リードしている側にとって危険な状態であると言われている。
同点にされる、また逆転されるケースは珍しくないし、僕自身も何度か経験している。
なぜそのような展開になるのか?
リードしているチームが1点取り返されたとき、ピッチ上の選手のメンタルにばらつきが出るという。
もう1点取ってリードを広げたい選手と、このスコアのまま試合を終わらせたい選手に別れる。
それぞれの意思の食い違いが、皆のプレー選択を変え、やがてイケイケの相手に食われてしまうことが多いらしい。
ある1つの現象、それはミスかもしれないし、スーパーなプレーかもしれないし、ある選手の投入かもしれない。
それによって、ピッチ上の選手たちが感じることは、選手の数だけ違う。
些細な感情の変化が積み重なり、流れとなる。チームは生き物だから。
時間制という点はサッカーと同じだが、シュートまでの秒数、ファールの数に制限があったり、時計の針を止めることができたりと、バスケは少し複雑。
その特殊なルールの中で垣間見える選手の技術的、そして人間的個性が作り出す「流れ」の移り変わりが、見ていてとても面白かったのでした。
日本代表のみなさん、お疲れ様でした!
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