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『乳水』観劇レポート/和田ながら

 2020年9月22日、鳥公園のアソシエイトアーティストである三浦雨林が演出した『乳水』を静岡でみた。

 2016年の初回から毎年5月頭のゴールデンウィークに開催されてきたストリートシアターフェス「ストレンジシード静岡」は、5年目にあたる2020年、新型コロナウイルス感染症の影響を受け5月の開催を延期した。開催延期は3月末に出演者に知らされ、4月3日に公に発表されている。

 あとから振り返れば、ストレンジシード静岡の開催予定期間は全都道府県に対して最初の緊急事態宣言が出されていた時期であり、延期も当然の判断であろうと思うわけだけれども、事務局スタッフや参加アーティストは当時、未知のウイルスと相対せねばならない不確定な未来に向けて実現の可能性を模索していたということを、忘れないように書いておきたいと思う。
 そう、開催延期が知らされるわずかに10日前、鳥公園として『すがれる』をストレンジシード静岡で上演予定だったわたしは会場の下見のために静岡にいた。開催延期が決定される10日前まで、本番に向けての具体的な打ち合わせや検討を進めていたのだ。これから状況がどのように動いていくのかわからず、徐々にふくらんでいく不安と上演へのかすかな希望が多くの人の胸の内でせめぎあっていた日々でのことだった(その日々は2021年2月現在に至っても終わったとは言えないけれど)。

 ストレンジシードから提案された延期日程案に私自身の仕事のスケジュールが合致しなかったため、鳥公園は和田演出作品での参加を見送り、三浦演出作品で参加することになった。
 その後、わたしがストレンジシードの参加を見送る理由となった仕事は、新型コロナウイルスの影響で中止になった。そして、わたしは『乳水』の上演をみることができた。

三浦_iOS の画像 (1)

 『乳水』は、三浦演出版のちょうど10年前、2010年9月23日-26日に日暮里d-倉庫にて初演されている。2019年3月には「鳥公園のアタマの中展2」で私自身もリーディング上演を行った。 

 カリフォルニア州で実際に起きた誘拐事件をモデルに書かれた本作には、「夫」「妻」「娘」「姉」「弟」という5人の家族と、その家族のもとを訪れる「来訪者」が登場する。「夫」と「妻」のあいだに実子はなく、赤ん坊の時にどこかから攫ってきた「娘」と「夫」の間に「姉」と「弟」が生まれているが、「夫」が父で「妻」が母、「娘」「姉」「弟」はその子どもたちとして家族が営まれている…という、複雑な関係図である。一方、「来訪者」がこの家族に接触することになった動機や経緯は明らかにはされない。
 戯曲は「I 妻の話」「II 娘の話」「III 姉の話」…と、章ごとに各登場人物の視点から見えた家族の姿を告白し、描いていく。その物語の中で「来訪者」は、家族たちの告白の聞き手としてあらわれる。

三浦_iOS の画像

 三浦が演出した『乳水』は、観客を「来訪者」として見立てた演劇だった。

 会場は静岡市役所の鏡池。一日あたり6回1時間弱ずつ、受付で整理券を得た観客に開放される。スタッフにうながされて十数段の階段を上がると真四角の広場に出る。週末で市役所も閉まっていて、観客以外に人気はない。道路からの高さと、周囲を植栽に囲まれているために、まちなかでありながら他と隔絶されているような、浮遊感と静けさを感じた。
 中央の池に、豆苗があおあお茂る白いマットレスがただよっている。池の周囲には「妻」が「娘」を育てている時に書き綴った日記をプリントしたランチョンマットが点々と置かれ、その上に空の食器がのせられている。広場の外周には、スマートフォンやタブレット、ラジカセ、スピーカーがぽつりぽつりと配置され、そのそばにも空の食器が添えられている。スマートフォンとタブレットの画面には、『乳水』の家族を演じているとおぼしき俳優を撮影した映像が流れている。

 スピーカーとラジカセから響くせりふは、劇中で「来訪者」に向けて語られた部分を中心に再構成されていた。つまり、登場人物たちの声を聞きとる時、観客はそれと自覚しないままに、「来訪者」としてそこに立つことになる。
 登場人物は、自分たち家族のことをおのおのの角度から語る。「来訪者」=観客はその話を拾いあつめ、家族のいびつなかたちを想像の中で造形することはできる。しかし、この奇妙で危うい家族に介入することはできない。すべては過去形で語られている。この家族はすでに、終わりを迎えてしまっているのだ。
 来訪者は、観客は、都市にぽっかりと浮かぶがらんどうな広場で、ばらばらの家族を個別に訪ね、話を聞き、苦い味をおぼえ、なんとはなしに後ろめたさをおぼえながら、そこを後にする。

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 鏡池に生身の俳優は登場しなかったが、観客が鑑賞する行為そのものを戯曲がもともとそなえていた劇構造の中に組み込むことで、三浦はこのインスタレーションを演劇の上演としても成就させていた。観客が聞き取るべき必然性を仕掛け、俳優の声を空間に再生させたその構想力は巧みと言えるだろう。

 他方、そこかしこに置かれた食器やランチョンマット、池に浮かぶマットレスは、演劇的に機能していただろうか。
 「妻」が支配しようとした、そして歪んでしまった家族の食事。「夫」と「妻」のあいだからは失われ、「夫」と「娘」のあいだでおこなわれた性交。たしかにあの家族にとっての重要なモチーフをあらわすアイテムたちであったことは違いないが、説明や暗示にとどまっていて、まだなにか、活躍する余地があったように私には思われた。それが物量なのか、レイアウトなのか、個々のアイテムの状態なのかは判然としないのだけれども。

 食器や液晶の画面の上を、蟻が這っているのを見た。
 たとえば、「妻」が子どもたちに対してきびしく禁止したお菓子や、「夫」が部屋に引きこもって毎日食べ続けたチョコチップメロンパンがこの広場に散らばっていて、大量の蟻が食器にむらがっていたとしたら?

 そんな余計な妄想がむくむくとわいた。
 こうやって、もっと、もっと、と観客として欲張りたくなる作品は、いい作品だと思う。今後もどこかで、より濃密な演劇として三浦演出の『乳水』が上演されるのを楽しみにしている。

和田ながら(演出家/鳥公園アソシエイトアーティスト)

★『乳水』の初演版およびストレンジシード構成版の戯曲は以下記事から購入可能です。
『乳水』戯曲/初演版+ストレンジシード構成版
https://note.com/bird_park/n/na9ad211cf34a

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ストリートシアターフェス
ストレンジシード2020 the Park
http://strangeseed.info/2020/
日程:2020年9月21日(月・祝)・22日(火・祝)

鳥公園『乳水』
作:西尾佳織
演出:三浦雨林
出演:大竹直(青年団)、杉山賢(隣屋)、高橋星音、ながいさやこ(SPAC)、坊薗初菜(青年団)
空間デザイン・グラフィック:鈴木哲生
空間デザイン・映像協力:山田沙奈恵
オブジェ制作:永瀬泰生(隣屋)
助成:セゾン文化財団

主催:静岡市
共催:SPAC-静岡県舞台芸術センター

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