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岡潔「スミレはスミレのように」

天才であり、変人としても知られる数学者の岡潔は、文学にも精通し、文筆家として代表的な随筆も残しています。

その随筆に記された名言として有名な言葉が、「スミレはただスミレのように咲けばよい」という一節です。

スミレは、道端に咲く春の花で、紫色の花を咲かせ、都会でも、コンクリートの隙間から咲きます。

一見、「スミレはただスミレのように咲けばよい」と言われると、何も変化する必要はない、スミレはただスミレのまま、一生変われない、といったマイナスの意味合いを帯びているようにも聞こえるのではないでしょうか。

しかし、岡潔が実際に随筆に書き綴っている「スミレ」の前後も読むと、その意味がより深く伝わってきます。

私は、人には表現法が一つあればよいと思っている。それで、もし何事もなかったならば、私は私の日本的情緒を黙々とフランス語で論文に書き続ける以外、何もしなかったであろう。

私は数学なんかをして人類にどういう利益があるのだと問う人に対しては、スミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。

岡潔『春宵十話』

スミレは、人類全体の利益がどうということを考えるわけでもなく、春の野にどういう影響があるかと考えているわけでもありません。

スミレがそのことを考えようにも、あずかり知らないことであり、スミレはスミレのように咲く以外にない。

言い換えるなら、周囲のことを気にしても仕方がない、あなたはあなたの咲けるように、目一杯に咲きなさい、ということでしょう。

生きている意味とは何か、こんなことをして何の役に立つのか、という疑問が、内外から襲いかかってくるとき、いったん、そういった問いは捨て去り、自分は自分の咲かせられる花をただ咲かせればいい、「スミレはスミレのように咲けばよい」のだ、と岡潔の言葉を振り返ってみるといいかもしれません。

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