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エスケープ

 鬱状態を発症した頃は、質量ともにハイレベルな業務のストレス、マルチバインドを抱えていました。
 そんな中ある日、明らかに私の処理能力を超える案件が殺到。突如「脳がフリーズ」しました。
(私はあまり覚えていませんが、休憩室で吠えるように鳴きながら痙攣していたそうです)
 その後、職場のトップから「いいから休め」と言っていただき、おぼつかない足取りで家まで戻りました。
 
 あまり働いていない脳みそが何を考えたのか、気づくと私はある湖畔の温泉宿に向かっていました。
 何をしようというアテもなく旅館に到着、部屋に案内されました。
 
 とりあえずボーッとしていると、携帯が鳴りました。職場からでした。本気で自殺を心配されたようです。
 幸か不幸か、その時は「死」すら思考の外でした。

 煙草を一服しながら窓の外を眺めていると、ある光景が目にとまりました。
 産卵期を迎えた鱒たちが岸辺に集まり、湖面に波紋を広げていたのです。 
 ...その波紋は、私の感情にダイレクトに飛び込んできました。

 ――釣り道具は車に積みっぱなしだ。
  長らく釣りさえしていなかった私に、“感覚”が甦ってきました。
  身支度を調えると、私は湖岸に立ち、竿を振りました。
  ...本当に、久しぶりの魚信...
  丁寧にリリースし、10匹くらい釣ったところで満足し、宿に戻りました。
 ――「満足」という感情すら忘れていた。

 夕食を摂り、温泉につかると、うめき声と溜息の入り交じったものがこみ上げ、それから平静が訪れました。
 露天風呂はそのまま湖岸へと開けていました。
 ――“このまま湖に出て、沖に向かって泳いでいけば、いずれは疲れて水に沈んでいくのかな...”という考えが頭をよぎりました。

 ...しかし、実行しようとは思いませんでした。

 実行しなかったおかげで、いま、こうしていられるわけなのですが、
 私には、湖の主が私をいざない、“まだ、生きろ。”と諭してくれたように思えてなりません。


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