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続・会津を読む

(祖父の)働きぶりはすごかった。朝、暗いうちに家を出て、夜暗くなるまで働いていた。…「山出しの頭領」は自分にも厳しかったが、お弟子さんや初孫の私にも厳しかった。よく悪さをして叱られた。ただ、仕事から離れた祖父さんは情の深い、正義感にあふれた良い人だった。

(秋、子連れの旅芸人を数日泊めた際、友達のいなかった筆者は嬉しくて、その子とお腹一杯食べ比べ競争をした。「何も旅芸人の子にお孫さんと同じもの食べさせなくてもいいじゃないですか」と祖母に小声で言った出入りのお手伝いさんに対して…)

「馬鹿なこと言うな、息してるもんは皆、一緒じゃねえか。明日、蔵から一番良い米出して来て二人に食べさせろ!」

…やがて、その子と別れがやって来た。祖父さんの心を知ってか、祖母さんは焼きおにぎりや乾しイモなどを一杯持たせた。旅芸人親子は、姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。祖父さんが目を真っ赤にして言った。

「良い思い出作ってやらにゃのお。」                                                                     

                                      エッセイ   現大阪府在住I氏

                            「会津学」Vol.6        奥会津書房

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子供の頃、春秋の良い季節になるとふらりとやってくるおじさんがいた。縁側に座って母が出す塩むすびとお新香を食べ終えると、深くお辞儀をして去って行った。

言葉を交わした記憶はない。その人の声も聞いた覚えがない。どこの誰とも、どのような事情かも問いただすこと無く、精一杯のもてなしで受け入れた母の態度と、寛いでお腹を満たしていくおじさんの顔を思い出した。

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奥会津書房に注文した書籍に、同封されていた「会津嶺」という冊子で、会津若松市内で、映画「瞽女・GOZE」の上映会と瞽女歌の演奏会がある事を知り、早速申し込む。

いつか会津を歩きたいと思っていた。山歩きはもう十分やったからいい。何度も車でピュッと通り過ぎた道を今度はゆっくり足で回ってみたい。

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自粛暮らしが長くなって困ったところは、出かけなくても充足してしまっていること。ブロックされていた動きを、今や自分でブロックしている。まずい。

久々の会津行きが繭から飛び出すきっかけになればいいなと期待している。

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