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私はうつ病というトンネルの中

出口の見えない孤独な暗闇

うつ病とのたたかいの始まりは出口の見えない真っ暗なトンネルをさまよっているようだった。誰も助けてくれない気がした。いや、ほうっておいてほしい気もした。助けてほしいのにほうってほしい。自分でもどうしてほしいのかわけがわからなかった。
「頑張れ」と励まされるとつらい。頑張りたいのに頑張れない。そんな自分が情けない。
「大丈夫?」と聞かれるのもいや。大丈夫じゃないからこんな顔で泣いているのに。誰も私のことなんてわかってくれない、と感じた。

途方もなく長い暗く冷たいトンネルで私は一人しゃがみ込み震えていた。症状の苦しさやわかってもらえないつらさから、このまま誰にも見つからず溶けるように消えたいとも思った。

暗闇で差し伸べられた手

ずうっとそのトンネルにいると、スッと手を差し伸べてくれる人がいた。信頼している会社の上司。励ますでもなく体調を聞くでもなく、ただただ私の話を忙しいのに何時間も聞いてくれた。そしてこう言った。

つらかったね。よく頑張ってきたのは私が知ってる。
眠れないのも食べられないのももしかして病気のせいかもしれない。
一度、精神科に行ってみたらどうかな。私も一緒に行くから。行ってみようよ。

上司の言葉を聞いて初めて私は自分の心の異常に気づいた。そして、このまま消えてしまうよりは、遠いけれどきっとどこかにあるかすかな光を探して進もうという気になった。

いろんな光に照らされて

その光のひとつは通院である。うつ病とのたたかいでもっとも大切なことだ。

最初の主治医とは相性がわるかった。私の涙ながらの語りをよそにパソコンを見つめる白衣の人物。ときどき思い出したようにふっと私の顔を見る。「えっ、そんなしょうもないことで悩んでいるの」とでも言いたげな表情で。
病気だとわかって薬ももらえるとわかって、真っ暗だったトンネルがちょっと明るくなった気がした。けれど、ちょっとヘンな明るさだった。気持ちのわるい色に照らされて、真っ暗闇とは違うつらさがあった。

療養のために仕事を休んで実家に帰るよう指示された。会社のみんながコロナ禍でたいへんなときに休むのはものすごい罪悪感だった。東京から田舎への移動。もしコロナを連れて行ってしまったらとの不安もあった。休みたくない、帰るのがこわい。上司と先生の前にもかかわらず、罪悪と不安が恥を圧倒しただただ泣きつづけた。30分ほどだろうか、2人がかりの説得にようやく応じて診察室を出た。赤く目を腫らし俯く私にカウンセラーさんが声をかけてくれた。

あなたの今の一番の仕事は休むこと。あなたの帰省は不要不急じゃない。
必要で緊急なことなんだよ。
しっかりエネルギーをたくわえて、またもどりたくなったらもどったらいい。

その言葉は、私のトンネルをステキな色にかえた。

光はさらに強まり、出口をかすかに照らす

実家に帰っても症状はなかなか改善せず、家事もろくに手伝えない。ただひたすら泣き疲れては寝て、悪夢をみては起きまた泣く。せっかくの母の手料理もロクに食べられない。そんな日々を送っていた。こんな自分、いないほうがマシなんじゃないかと申し訳なさでいっぱいだった。でも母の言葉が私のトンネルをさらに明るくしてくれた。

あなたは病気なのだから仕方がないよ。どんなあなたでもお母さんは絶対に味方だよ。

実家近くのクリニックに通院先をかえることになった。田舎まちだから、通える範囲に精神科はひとつしかなかった。せっかくステキな色に照らされたトンネルがまたヘンな色になってしまったら……と不安で不安で仕方がなかった。

ビクビクと診察室に入った私。ポツリポツリとしか出てこない言葉を新しい主治医は急かさずじっくりと聴いてくれた。そして私の目をしっかりと見つめて、ゆっくりこう言った。

あなたはうつ病という病気です。つらいのはあなたが弱いからじゃない。
ぜんぶ病気のせいですよ。これまでよく頑張ってこられました。
あせらずゆっくりと付き合っていきましょうね。

まだ薄暗かった私のトンネルは、一気に明るくなった。そして、遠く遠くにある出口がぼんやりとだけど見えた気がした。

出口に向かって一歩、また一歩

だんだんと薬が効き症状がおさまってきたある日の診療。早く病気を治したい、働けない自分が情けないし、会社のみんなに申し訳ないと涙を流す私に先生はこう言った。

うつ病であることを受け入れること。それが回復への一番の近道です。
あなたは会社の制度を利用して休んでるんだからなんにもわるいことはしていませんよ。

そうしてようやく私は、自分の病いと休むという事実を受け入れて、しっかり向き合っていくことを決意した。初めて精神科に行ってからすでに5か月もの時がたっていた。

このなんとも言えない苦しさは本当にうつ病のせいなのかを知りたいと思った私は、うつ病患者のコミュニティに入ることにした。すると暗いトンネルでかすかな光を求めてさまよう大勢の人々がいるとわかった。
うつ病になった原因や環境は一人ひとり違うけれど、同じような症状で苦しみ、悩み、なんとか耐えて一日一日を乗り越えていることを知った。
トンネルが暗くてこわくて、自分のことしか考えていなかった。仲間がいることが見えていなかった。私は一人じゃない、それぞれのトンネルをさまよっている仲間がいる。彼らと一緒に、少しずつ出口に向かって進もう。 

ぼんやりとしていた出口が今ははっきりと見えている。暗くなったり、出口から遠ざかるときもあるけれど、家族や仲間の助けを借りながら私は出口に向かって少しずつ進んでいる。
それでもときどき自分に生きている価値があるの、と悩むことがある。
でも、うつ病というトンネルをさまよう仲間が顔は見えないけれど日本のどこかにいる。そのこと自体が仲間たちにとっての私の存在価値であり、仲間の一人ひとりは私にとっての存在価値、確かな光となっている。

仲間の一人がかけてくれた言葉。

どんなに苦しくても、生きていることが一番に大切。

トンネルをさまよっているあなたが「今」生きているというだけで、私はとても嬉しい。きっと他の誰かも同じように思ってくれているはずだと信じている。
自分のいのちは自分のものだ。しかし誰かが授けてくれたものでもある。母や父や、もっともっと先のご先祖さま……もし私がいなくなれば、家族や仲間はきっと悲しむだろう。だから私は絶対に、死を選ぶことはしない。

これから私は一日一日、「今」という瞬間だけを見つめて生きていく。トンネルの出口に向かって進んでいく。一歩一歩、ときどき戻ったりしながら、でも着実に。
トンネルを出た先がどうなっているかなんて誰にもわからない。だから、今は考える必要なんてない。今という瞬間を少しでも楽に暮らせたらそれでいい。

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