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認知症の苦痛

認知症による 周りの家族の苦痛とは実利的な弊害はもちろんだが
おそらく それよりも自分の親の内面構造がみえてしまうことにあると常々感じている

ほんのさっきまたもや 冷凍室の氷の真上にアイスクリームの食いさしが、袋を半分にきったやつに入れて 2つ並べておいてあった
そして製氷機の氷の上ではないが 冷凍室のまた別な場所にかき氷の食べさしが蓋をしておいてあった

これを読んだ人は、ちゃんと袋に入れてあるし蓋もしてあるならいいんじゃない?それくらい
こうおもうことだろう

まず物理的な結果からいえばそういうふうにはならないのである
元々のアイスクリームの袋に入れてあっても 半分切った袋に入れてある状態だと 今まで何かの拍子に例えばイチゴのアイスキャンディーの食いさしならその赤い汁が流れでて氷を汚すことが去年は何度もあった

問題は「アイスキャンディーの元の袋をわざわざ半分に切った袋に入れて氷の上に残す しかも2本も」というこの件は、この場合、ある見方をすれば袋に入れずに氷の上に残すより余計分け悪いのである

なぜならば それだけ細かな気を使いながらわざわざ半分に切った袋に入れながら ” 氷の真上に ” 残すというのは、それだけ細かな作業という労力を使いながらさまにならないことをしている となるからだ わかるだろうか?

そんな細かな労力を使っている暇があるなら 最初から製氷機からでてきた氷の上に置かなければ何も問題ないのだから・・・
しかも 1つのアイスを残すだけでなく 棒状のアイスキャンディー2本を半分切りの袋に入れて氷の真上に残し カップのかき氷は別な場所に残してあった

かれこれ この氷の上にアイスの食べさしを置くな! 何度いっただろうか? もう50回はきつく注意している
そのうち30回は 「もうわかった よくわかった!」と啖呵を切っている
残り20回の注意においては
「俺が残したんじゃない 残した覚えがない」といいはっておわる
しかし 最近はアイスを食べる頻度が増してきたため「残した覚えは無い」は少なくなってきた

実は ここ2,3日は自分の注意勧告が成果をあげたのか 食べ残しを氷の上におくことはなかった それで「やっとわかってくれたかな・・・」とわずかばかりの期待をしていたが やはりものの見事に裏切られた

夕飯に別の事で口論していて 夕飯の材料をだすため冷凍室を開けてビックリだ しかも合計3つものアイスが残してある事実をまのあたりにする

そもそも3日に1度は、アイスクリームのパック(7本入り)をわずか半日で全部食べてしまうことを注意して口論となる なぜ口論になるか?
「俺がたかが半日で7本も食べるか!」と否定するからだ

もちろん言っても無駄だとわかってはいても ↑の文句をいったげく机を叩いて「馬鹿にするのもいい加減にしろ!」と怒ってくると こっちもつい・・・

もうかれこれ 氷の上にアイスの食べさしを置くな!というのは50回ほど強く注意してこの様だ
それでも 1つのアイスが氷の上に残してあった というならまだマシだ
氷の上に2つ 別な場所に1つ 全て半分だけ食べて残してある
もうおわかりですよね? 

これの見方に二通りのことが考えられるわけだ

  1. 本当に自分で残したことを忘れて 2つ目3つ目を残す この場合その 先においてある 食べさしは自分か誰か違う者がやったと思っている
    (※ちなみに家には自分と親父の二人ぐらし)

  2. もう1つは、自分が今まで何十回も注意勧告したことをてんでカスにかいて聞いている あつがいったことなど全く気にする必要などない!
    自分が好きなようにやればいい

  3. あるいはそれらが混在した思考で行動している

もちろん👆にあげたアイスキャンディーの話は、親父の認知症におけるやりきれなくなる現象の1つに過ぎない
言い出せば軽く10ページ(※気分的なイメージ) は簡単に超える!

このアイスキャンディーの件も最近では、また同じことをしても自分は、もはや注意しなくなってきた したところで3~5日後には元に戻るからだ
そう3日もてばLuckyかもしれない

だけどこれは親父の認知症による被害でも3本指に入るストレスをかんじるなぜならば 👆にあげた 2 の可能性が多少なりともあることは間違いないとおもうからだ

完全に1だけと解るなら! 自分はそれほどストレスを感じないだろう やむなしでおわる
しかし 決してそれだけではないのである 息子のいうことぐらいどうでもいい これにいつっも つぃㇺっときてしまうのだ

親父は20代前半の3年くらいは東京でサラリーマン生活を送っていたがそれ以後は継ぎたくもない実家を継がないといけないハメになり その時期に強制的に戻ってきた やがて結婚して街の仕事に専心して長年町会議員として勤め上げてきた その間家の事は亡くなったお袋と伯母にまかせっきりでほとんど自分で家事をしたことはない
親父が若い頃から再び家事を手掛けるようになったのは つい1年半ほど前からだ 最も家事といっても 皿洗いと洗濯の一部だけだが・・・
そして 気持ちとしては 後は「” 誰か " が」やってくれるから掃除などは何1つしないのだ
潜在意識の中では、基本的に家事は自分がやることではない という認識がある

自分はここ1年 親父のこの考え方を変えてやろうと徹底していろんなことを説明してきたが あきらめた そもそも何もかも覚えていないのだから

今日もこの後 スイッチが電源ボタンだけという 親父の寝室のクーラーの使い方を「このまま電源いれっぱなしでいいのか?」と50日たった今でも聞きにくることは目にみえている
もちろん50日間 このクーラーの説明に10分~1時間 / 日 使っているのだが 未だにわかりきった「何か?」を自分のとこまで聞きに来ないと落ち着いて寝れないときている

この件も 忘却以外の 人生で学ぶべき何かを学ばずいつも人任せにしていた者が陥る思考の癖に翻弄されているのだ 全く まさか親父がこのような人間だったのか? と未だにやりきれない思いに苛まれている

自分はこの記事は 100%ストレス解消のために書いているのであしからず


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