見出し画像

真実は、いつもひとつ?

決して
コナン君に喧嘩を売りたいわけではなく

真実という言葉の定義の問題
でしかないと思うのだけど

ひとたび量子論の沼にはまると
絶対にこう、と言えることが
あまりに見当たらなくて

コナン君の力強く言い切る姿にほっとする。

沼の中では
誰にとっての現実なのか?
という問いがつきまとう。

放射性元素が崩壊したという出来事は
猫にとっては現実でも
箱を開けていない人間にとっては
現実ではない。

それでも箱を開けたら
死んだ猫を発見するはずで
猫にとっての現実は
人間にとっての現実と等しいはず。
箱を開ければ・・・

開けなかったら?

箱を開けなければ
猫は死んでない。
猫の現実と人間の現実は異なる。

ニュートンが描いた世界で
古典的に展開する事物にフォーカスしていれば
コナン君のように
キリッと言えるのか

いや実は
このマクロスケールでも
現実は甚だ曖昧で

すべては描像に過ぎない、ような

自分の描く描像と
他人の描く描像と
全く同じではなく

こうして思考はとりとめもなく巡り

そこにあるのは
自分と現実の関係だけで
自分と相手との関係があり

現実は儚くとも
この関係の網の中にいると思えば
世界はひどくやさしい。

真実の数なんて
どうでもよくなったりして。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?