見出し画像

公演期間などに思うことども

2021年12月27日のツイートより

公演中に考えたことをいくつか。

まず、俳優には本番を通じて伸びていく力があると思う。若くて、経験の浅い俳優なら尚更、飛躍の程度も大きいと思う。だから伸びる時期、成長する時期にちゃんと間を空けずに良い現場を重ねて欲しい。どんなスポーツでも始めたばかりの最初の数年で技術が飛躍するものだから。それと同じようなことが演技においても起きる。

逆に言えば、最初の数年で間違えたクセだったり、不自然なフォームを身に付けてしまうと、それを抜くのに多くの時間がかかったりするもの。飛躍できる時期はいつまでも続くわけじゃない。感覚を掴んだら、身につくまで繰り返せる環境に身を置いてほしい。結構、これをやれない俳優が多い。たまに余計なお世話を焼きたくなって、「君にとって今の時期はものすごく大切な時期だから現場から離れるな!」ということを言ったりするのだけど、当然、人にはそれぞれ事情があり、そうもいかない事例も多い。

本番を重ねていく際に困難なのは、演じる、という非常に複雑な行為の情報の豊かさをいかに保ち続けるか、ということだ。繰り返していけば半ば自動的に、人は思考の道筋にも轍(ワダチ)を作っていくので、演技の複雑性が記号に回収されていくことに抗って欲しい。

たとえばあるシーンに非常に複雑な葛藤を抱えるシーンがあったとして、どうにもできない感覚で身もだえする、妙な形でためらいが手の動きに出る、なんていう複雑な演技があったとして、それがどんなに良かったとしても、繰り返していくと手の動き、その型を俳優はなぞっていってしまう。単になぞるだけではなく、三回、五回となぞっていけば、いつしかそれは「そこしか通ることのできない道」になって俳優の自由を奪い始める。段々と動きは「洗練」され、簡略化され、ニュアンスは記号に回収されていく。まずは、それに気づくこと。自分が自分の縮小再生産を行う危険に気づくこと。言い換えれば「飽きる」力を失わぬこと。クソ真面目に演技しちゃダメだというのは、クソ真面目にやっていると「飽きる」感覚が麻痺しちゃうから。自分が飽きているような演技は大抵、人が見てもつまらないものだ。演奏だって、歌だってそうだろう。上手な人が上手に歌えば感動するわけじゃない。下手でも楽しんでる人の歌はおもしろい。

もちろんマジメに取組まないと何事もうまくはいかないけどさ。でも、正しくマジメである、ってことはマジメそうな顔してるってことじゃない。堅苦しさを我慢することじゃない。ちゃんと面白い芝居をやれるように、そこへ向かって作戦練るってことじゃないか。ホラ「死守せよ、そして軽やかに手放せ」ってピーター・ブルック御大も言ってたしね。

つまりは、ちゃんと意識して「捨てる」こと。この演技プラン、何回かうまくいったけど、なぞり出しちゃったな、つまんなくなってきたな、記号化してるだけだな、と感じたら、「いったんこれは捨てよう」と決断する勇気を持つこと。それは怠惰じゃない。「負け」じゃない。ちゃんと、飽きること。大切よね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?