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『彫刻家の娘』から考える、「小説から作者を知る」とは?

 本連載のタイトルは“「トーベ・ヤンソンを知る」読書案内”ですが、今回は、1968年に刊行された『彫刻家の娘』を紹介しながら、小説から作者を知るとはどういうことなのか、改めて考えてみたいと思います。

 『彫刻家の娘』は、19の短編が収められており、少女「わたし」が日々のできごとを語っています。評伝『トーベ・ヤンソン:人生、芸術、言葉』によれば、実際のヤンソンの日記に書かれているエピソードがあることから、内容はヤンソンの経験に基づいていると思われます。その一方で、別の評伝『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』では、現実とは異なる年代になっていたり、うまくフィクションの要素が加えられたりしていることが指摘されています。実際に作中では、「わたし」が「トーベ」であるとは書かれていません。また、短編は「金の子牛」「暗闇」「石」といった抽象的なタイトルがつけられており、必ずしも時系列順に並んでいません。このようなことから、自伝というよりは小説の短編集という印象を受けます。

    本作は、「自伝的な小説」と言われることもあります。経験とフィクションを合わせて書くのはなぜでしょうか。日本語訳版に掲載されている「日本語版のための作者の序文」には、本作についてのヤンソンの考えが次のように書かれています。

   『彫刻家の娘』はしあわせな子ども時代についての物語です。とはいっても、すべてがここにかいてあるとおりに起こったかというと、そうとも言い切れません。とうぜんのことですけれどね。だって、当時はどんなできごとでも、いまよりずっと大きくて重みがありましたし、ある意味では「魔法」にみたされていたのですから。

    過去の出来事を客観的に順序立てて記憶しているのではなく、印象深い経験をきわめて主観的なものとして記憶している、ということでしょう。
もう少し考えを深めるために、ムーミンパパの回想録を含む小説『ムーミンパパの思い出』を参照します。この本では、ムーミンパパが若い頃のことを書いた「思い出の記」を、息子のムーミントロールとその友人のスナフキンとスニフに読んで聞かせます。ムーミンパパは「思い出の記」の序文で、自叙伝にフィクションを織り交ぜる理由を次のように説明しています。

   この自叙伝は、少し大げさにいったり、ごちゃまぜになったりするところもあることでしょう。でもそれは、ただ本当に、経験した土地のようすをはっきり描くためや、そのときの情熱をいいあらわすためなのです。ほかは、まるっきり真実です。

   こちらは作中のムーミンパパ言葉ですので、ヤンソン自身の考えとまったく同じではないかもしれません。ですが、「作家が経験を事実のとおりに書くとは限らない」との認識がヤンソンにあったことはわかります。これら2つの序文から、ヤンソンはフィクションをまじえることによって、強く印象に残る経験や気持ちを鮮やかに描き出そうとしたのではないかと考えられます。

   少し『彫刻家の娘』を覗いてみましょう。本作は、少女「わたし」の目線から語られています。たとえば短編「石」は、純銀の混じった石を転がして家に持ち帰る様子が書かれていますが、道行く人の視線、疲労、詳しい道すじ、階段で石を落としてしまった時の気持ちや音などが詳細に描写されています。
  また、前述の2冊の評伝に指摘されるように、本作はムーミンあるいは児童文学とは一線を画する大人向けの物語として書かれており、登場人物の紹介や状況の説明はほとんどなく、挿絵もない、余白の多い作品であるともいえます。
   それゆえ読者は、「わたし」が見るものや感じることがリアルに感じられる一方で、詳しい記述のない周囲の状況などについてあれこれ想像したり考えたりしながら読むことになります。不明瞭で曖昧であるからこそ作品世界に引き込まれることもあるでしょう。

    最後に「小説から作者を知るとは」という疑問に戻ります。自伝的なものであれ、創作であれ、作品に作者の経験や考えが明確に示されているとは限りません。作品から作家に関する事実を探ることは、作家や作品の背景を知るうえで有意義であることは確かです。しかし、作者から読者に提示されているのは作品そのものであり、読者にとっては作品を読むことが作者とのコミュニケーションであるといってもよいでしょう。作品を通して作者を知ることは、作者が選んだ主題やその表現に着目し、作品を深く味わうことではないでしょうか。この読書案内では、ヤンソンが書いた小説の読み方の可能性を広げられるようなお話ができればと思っています。

<紹介した本>

トーベ・ヤンソン著『彫刻家の娘』冨原眞弓訳、講談社、1991。

<参考文献>

ボエル・ウェスティン著『トーベ・ヤンソン:人生、芸術、言葉』畑中麻紀、森下圭子訳、フィルムアート社、2021。

※講談社から2014年に刊行された『トーベ・ヤンソン:仕事、愛、ムーミン』の改題・改訳。

トゥーラ・カルヤライネン著『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』セルボ貴子、五十嵐淳訳、河出書房新社、2014。

著者紹介 / 小林亜佑美(こばやし あゆみ)

秋田県出身。高校生の時に初めてムーミンを読み、大学で文学・文化・表象論を学びヤンソン研究を始める。
2013年山形大学人文学部卒業、2016年法政大学大学院国際文化研究科修士課程修了。
修士論文タイトルは「理解・不理解の主題から読み解くヤンソン作品の変化:『ムーミン谷の仲間たち』を中心に」。
著作物;バルト=スカンディナビア研究会誌『北欧史研究』第37号に「日本におけるトーベ・ヤンソンおよびムーミン研究の動向」を掲載(2020年)。


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