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アンデルセンと歩くデンマーク文学の歴史

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今さらアンデルセンの話なんて……と思われる向きは少なくないのではないでしょうか。いったい私たちは、次のようなお定まりの書き出しを何度目にしたことでしょう。
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#歴史

第3回「南へ」

14歳で俳優を志しコペンハーゲンに渡ったアンデルセンは、その後作家に転じてから29回の外国旅行を経験しています。「旅することは生きること(At reise er at leve)」という言葉を遺し、小国デンマークのムラ社会の外へ幾度となく飛び出したアンデルセンは、未知なる異国で脳裏に刻まれた鮮烈な印象を、数々の紀行文学に結実させています。その最初の試みが、コペンハーゲンの市壁を抜けて運河を越えた先にあるアマー島へ足を伸ばした体験を語る『1828年と1829年のホルメン運河

第2回「アラディンはデンマーク人」

14歳にして俳優を志して故郷を出たアンデルセンは、1819年9月6日に「私の世界都市(min Verdens Stad)」コペンハーゲンの西門をくぐりました。ローカルな牧歌的世界から抜け出て近代ヨーロッパの玄関口に立ったこの少年の目に、ただならぬ光景が飛び込んできます。街じゅうにあふれた群衆が、ユダヤ人の営む商店を破壊する、騒然たる有り様。「ユダヤ闘争(Jødefejden)」と呼ばれる排他的運動が高潮していた頃で、アンデルセン到着の前晩にも暴動が起こったばかりでした。180

第1回「靴屋と劇場」

アンデルセンが産声をあげた19世紀の初め、デンマークは総人口100万人に満たない田舎じみた小国でした。首都コペンハーゲンの人口は10万人で、これもなかなかこじんまりとした世界なのですが、アンデルセンの故郷オーゼンセは国内第二の都市ながら人口はわずか6千人に過ぎず、首都とのあいだに大きな隔たりがありました。 この小さな世界に生きたアンデルセンの父ハンス・アナスン(Hans Andersen 1782-1816)は、貧しい古靴修理職人だったといわれます。けれども、彼が中世以来の

序文——北欧を旅する人の「幸福の靴」となることを願って

さあ、お話をはじめますよ! ……などと威勢よく語り出すことができればいいのですが、ここでお目にかける文章は、アンデルセン紹介としてはずいぶん無愛想に思われるかもしれません。といいますのも、すでに周知されて久しいハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen 1805-1875)の名を語ることは、いまいち気合いの入れどころがわからない、芯でとらえようのない仕事にも思われるからです。 みなさんにとってもおそらく同じことで、今さらアンデルセ