君の言葉は詩であり、歌詞

我が子は、自閉スペクトラム症と知的障害があります。

我が子が1歳の時に初めて公衆浴場に連れて行ったときのことです。
我が子は、夫と一緒に男湯へ。
夫は育児でも家事でも、協力して一緒にやってくれる人なので、わが子も懐いているから、何の心配もしていませんでした。
ところが、我が子が大浴場で大号泣。
耳を突き破るような爆音で、女湯にまで響き渡る鳴き声。
人に迷惑を掛けてしまっている申し訳なさで、頭がいっぱいになり、急いで風呂から上がり、休憩所で夫と我が子を待っていました。

すると60~70代の夫婦の話し声が聞こえました。
「風呂場に凄い声で泣いている子供が、いただろう?あれは、キチガイの子。
親の躾がなっていない」
と、妻。
妻のすぐ後にいた私は、悲しみと怒りがこみあげ、黙っていられず、私は妻に向かって「あの子は、私の子供です。障害を持っているんです。ご迷惑おかけしました」と言いました。
夫婦は、バツが悪そうな表情をしました。
すると妻は「私も障害者なの」と言い、逃げるように夫婦は帰っていきました。
夫婦が帰った後、夫と我が子はお風呂から出てきました。

帰りの車中で、私は慟哭し続けました。
いろいろな思いが、頭の中をぐるぐる回っていました。
そして我が子に心の中で、「障害がなく、産んであげられなくて、ごめんね。優しさに欠けた世の中に誕生させてしまい、ごめんね」と謝りました。
夫は、そんな私をずっと励ましてくれました。

それから数年経ち、我が子は元気に保育園に通っています。
少しずつ言葉を話せるようになってきましたが、「どういう意味の言葉だろう❓️何て伝えたいのかな❓️」という不思議な言葉やフレーズも発します。
例えば、「シーヤ、ハンマンガー」。
「どういう意味❓️」と我が子に尋ねても、我が子は「シーヤ、ハンマンガー」を連呼するのみ。
私も夫も意味は分かりませんが、我が子と一緒に「シーヤ、ハンマンガー」と言うと、我が子も笑ってくれ、その笑顔を見た私と夫も嬉しくなります。

我が子が発する、意味が分からない言葉たち。
本人は意味を分かって言っているのかもしれないし、意味はなく、オトマトペのように楽しんでいるだけなのか分からないけど…。
そんな言葉たちは、私と夫にとっては、我が子の素敵な詩であり、歌詞。
今日も、聞かせてほしい。
その愛くるしくて、宮沢賢治の世界のような言葉やフレーズを。
そして、私達夫婦を見付けて、やってきてくれて、ありがとう。
心ない言葉を発する人もいる世の中だけど、温かい心を持った人もいるから、諦めないで生きていってほしい。