人生死ぬまでの充電期間⑥〜ニュージーランドで盆栽〜

 5年の修業が終わり、ニュージーランドの盆栽園で働くことになった。どのようにしてニュージーランドで盆栽をする機会を得たのか、そしてそこでの苦悩と葛藤、そして帰国するまでを書いていきます。

インスタグラムと盆栽

 修業3年目をくらいのときにインスタグラムを始めた。当時、インスタグラムは日本で流行り始めたくらいの頃で、まだ”インスタ映え”と言う言葉もなかった。

 インスタグラムに自分の勉強している盆栽のことを投稿していたら、興味を持った海外の人からもしかしたら連絡が来るかもしれない。インスタグラムを履歴書のように使えるんじゃないか。そう思ったのが始めたきっかけだった。そして、フォロワー数は順調に増え続け、問い合わせも来るようになった。ほとんどが盆栽の育て方に対しての質問だったが、できるだけ返信するようにしていた。

 技術や知識を外に漏らすのを嫌がる人もいる。ただ、今やネットでいくらでも情報は得られるし、特に盆栽はちょっと教えたくらいで簡単にできるようなものでもない。そう自分に言い聞かせ、海外の人と繋がりを増やしていった。

ニュージーランドの方との出会い

 もともと僕の修業先の盆栽園は京都という立地もあり、海外から毎日のようにお客さんが来ていた。『インスタグラム見ています』と言ってもらえることもあり、SNSの効果をひしひしと感じていた。
 そして、インスタグラムを通して繋がったニュージーランドの方が、実際に僕の修業先の盆栽園に立ち寄ってくれた。彼はニュージーランドで多肉植物と観葉植物の販売をしていて、盆栽も取り扱っているということだった。
 その時は挨拶程度しかできなかったが、後日その方に手紙を出すことにした。(チャンスがあれば、名刺をもらうようにしていた自分を褒めてあげたい。)
 将来海外で住みたい、働きたいということを書いた手紙を送った。最後にメールアドレスも載せて『良ければ、ここに返事をください』と。しかし、返事は来なかった。

 それから2年ほどが経ち、あと半年で卒業という時期になっていた。そんなある日、急にそのニュージーランドの方から連絡がきた。『ニュージーランドで働きませんか』と。これが、僕がニュージーランドで盆栽をすることになったきっかけである。

ニュージーランドでの生活

 そし僕は2019年8月ニュージーランドに降り立った。ずっと夢見ていた海外での生活が今始まる。このために、五年間の修業にも耐えて来た。しかし、実際の感覚として『こんなもんか』というくらいだった。達成感はあるのだけど、思っていたほどの感動はなかった。夢が叶うというのは案外あっけらかんとしているのかもしれない。

 最初の数ヶ月は、生活に慣れるのが大変だった。無理もない、海外で生活するのは初めてなのだから。ニュージーランドは家賃がすごく高く、それは当たり前のことだったので、おのずとルームシェアに挑戦せざる負えなかった。日本にいる時は、ルームシェアなんて正直あり得ないと思っていたけど、人間やらなきゃいけない状況になると案外出来たりするものだ。

 そして肝心の盆栽の方はというと、こちらもなかなか大変だった。まず、どういうことをしていたのか簡単に説明すると、数百ある盆栽と苗と庭木の管理である。つまり、水やり・選定・植替え・針金掛けによる整姿などを任されていた。
 やはり、気候や樹種が違ったり、日本では当たり前にあったものがなかったり、自分が思うようにいかないこともたくさんあった。自分なりに試行錯誤したり、実験的な日々だった。

 あとは他にも、たま〜に、盆栽の手入れをして欲しいとお客さんが来てくれるので、その対応をしたり。
 僕のことを気に入ってくれた奥様がいた。その方はとても立派な盆栽コレクションを持っていて、定期的に手入れに行かせてもらっていた。

海外生活で見えてきたもの、そして帰国

 ここまでのニュージーランドでの生活は、大変なこともありながらも、充実しているように見える。客観的にみればそうだろう。しかし、当の本人は毎日、違和感と言うか、”これが自分求めていたものなのだろうか”と疑問を持ちながら過ごしていた。それは、とても贅沢な悩みだったのかもしれない。いや、夢が叶っているのにかなり贅沢だろう。 
 でも、あのユーミンもいつぞやに『夢を叶えてからが長いのも、しいんどい』と言っていた。全く、一時代を築いた方の言葉を引用するのもおこがましい話ではあるが、夢が叶ってしまうと次に目指すところがなくなってしまうのである。

 ある意味燃え尽きてしまったのか、それとも期待を膨らませすぎていたのかもしれない。海外に行けば自分の”理想”が待っていると。でも実際に幸せを感じるかどうかというのは、どこにいようが自分次第なのである。

 そんな気持ちを抱えたまま、盆栽と向き合っていても、一生懸命になってみても、申し訳ないが、自分の管理している盆栽を心の底から好きと言えなかった。
 また、自分の苦手とも向き合わなければならなかった。自己主張が自分の課題であることはわかっていたし、避けていた部分でもあった。しかしとりわけ海外では、そこを求められることも多い。好きになれない盆栽を自分の作品としてアピールすることも、自分の苦手を克服しなければいけないことも凄く苦痛だった。あと、オーナーに対して不信感や関係性での悩みもあった。

 そんな悩みや葛藤の最中、コロナウイルスが世界で猛威を奮い始めた。どんどん日本に帰る術が無くなっていく。いつ終息するか分からない状況。もう、帰れるうちに帰国してしまおう。コロナを言い訳にして帰ってしまおう。実際に仕事もできるかどうか分からない状況になったし、誰にも文句を言われることもないだろう。そして僕は帰国した。”理想”を残し、”現実”を抱えながら。
 





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