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タイ人とハイドパーク

※トップ画像はタイメディア・カオソッドからの借用でバンコク上流階級御用達スクサーナーリー女子校での抗議集会の1枚。立てられた3本の指は自由、平等、友愛を意味する。以下本文。

 日本人の中には「タイから学ぶものはムエタイくらい」と思っている人が多い。しかし古き良き時代の英国の習慣が根付いていることも知っておいたほうがいいだろう。ビルの階数表示やエレベーターに乗る時左側を開けておくことなどは言うまでもなく英国の習慣。留学するとなればロンドンが一番という価値観もある。私はロンドンに行ったことがあるが、タイ人がロンドンを好きな理由が何となく分かる。

 バッキンガム宮殿とテムズ川の位置と、タイの王宮とチャオプラヤ川の位置が似ているのだ。いや、おそらくロンドンのような街並みをバンコクに再現したかったのだろう。実際のバンコクの街並みは混沌としているが、ロンドンの整然さに近づこうとした努力の跡が見える。数多くのエリートが英国から多くを学んだ。その1つにハイドパークのスピーカーズコーナーがある。

 昔は王宮広場にスピーカーズコーナーがあったのだと言っても説明不足。そこでこの記事を翻訳してみようと思う。このサイト、シンラパワッタナタム(文化芸術)は今起こる事件に合わせ、さりげなく歴史上の事柄を紹介してくれる素晴らしいサイト。Twitterにアカウント @Silpa_Mag があるのでフォローしてみよう。

 タイ人は昔のことを学校であまり教わらない、というのは庶民の話。教育格差は日本でも話題になるが、タイのインテリと庶民の教育格差はかなり大きい。それが社会の混乱を招いていることは否めないが、それはさておき今現在新未来党が解党処分を受けて議会外での発言が目立つようになった。しかしそれは日本人には思いもつかない暗殺などの危険を背負った行為なのだ。
 

   現在、「元」新未来党のプラユット首相及び4閣僚に対する不信任決議は不可解な採決で失敗に終わり、軍事政権は一見平穏を取り戻したかに見える。これから党首のタナートン氏らが何を議会外で話すのかは不明だが、英国のスピーカーズコーナーの話から始めることにする。

https://www.silpa-mag.com/history/article_28081

以下、上記から翻訳******

 ハイドパークは西暦1957年の数年前くらいからタイ人に知られるところとなった。本家英国では個人の不満を晴らす場所くらいの認識だが、王宮広場に設けられたスピーカーズコーナーでは真剣に政治的討議や演説が行われ人々が集まった。

 タイのハイドパーク(すなわち王宮広場)は英国のそれと違い政治集会の場所と見なされた。だが言論の自由の場所であることには変わりは無かった。
英国のハイドパーク東北部にスピーカーズコーナーはある。人々が話し、批判し、社会に何かを訴える場所だ。しかしそこにはTyburn Gallowsと呼ばれる絞首刑台が数百年の昔から置かれ、1783年までに5万人以上の死刑囚が吊るされた場所だった。


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※画像解説。馬車の荷台に死刑囚。牧師が降りた後の馬車が前に進むと首が吊るされる。その後ろには棺桶を積んだ荷馬車。言うまでもなく公開処刑。

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