今さらながら『漫才論争』について考える

漫才日本一を決める『M-1グランプリ2020』では、マヂカルラブリーさんが16代目王者に輝いた。一方で、舞台上を激しく動き回る野田クリスタルさんを村上さんがツッコミ続けるというネタは果たして漫才なのかという、『漫才論争』が巻き起こった。

この漫才論争について、M-1グランプリの審査員・ダウンタウンの松本さんと、現役の漫才師として今もトップを走り続けている爆笑問題の太田さん、そして漫才論争の当事者・マヂカルラブリーの野田さんが、それぞれ漫才について「定義」という言葉を使って説明していたのが印象に残っている。

「もうこれに関しては、本当テレビサイズじゃしゃべれないくらい、1時間くらい俺にひとりでしゃべらしてほしいくらいですけど、そんな時間もないので何を語ればいいかな、漫才か漫才じゃないか?」「漫才の定義は基本的にないんですね。定義ないんですけど、定義をあえて設けることで、その定義を裏切ることが漫才なんですよ。だからあえて定義を作るんですが、これは破るための定義なんですよ、いわば最終的にルールはちょっとあるんですよ、小道具を使わないとか、ズラ(カツラ)を被らないとか、でもベテランの人で面白ズラ被ってる人おるからね」(『ワイドナショー』)
漫才とはこういうものなんて、何の定義なんてないですからね。そもそも、最初漫才っていったのは、三河万歳とか、音を使ったりね。桂子好江師匠は三味線だったり…。ああいうのから近代漫才になって、エンタツ・アチャコから、漫才はしゃべくりだってなったけど。漫才ブームで全部ぶち壊して、型がないわけですよ。ツービート、B&B、ザ・ぼんちも。あんなの漫才でもないって。漫才っていうのは、こういうものっていうことを規定されることを漫才自体が拒んでいるわけだから。あんまり意味がないよね。歌舞伎や能や狂言みたいに、型があるわけじゃないからね」(『サンデージャポン』)
「僕らのは、出し物(笑い)。独自の出し物を披露したという感じ。笑いとは定義を覆していくもの」(NSC特別授業にて)

松本さんは「小道具を使わないとか、ズラを被らないとか」と漫才という演芸のスタイルについて言及し、太田さんは「最初漫才っていったのは、三河万歳とか、音を使ったりね。桂子好江師匠は三味線だったり…。ああいうのから近代漫才になって、エンタツ・アチャコから、漫才はしゃべくりだってなったけど。」といった、漫才の歴史的な部分に言及していたのも興味深い。

太田さんが言及していた万歳(万才)という演芸は、『文化デジタルライブラリー』によると、「民謡、どじょうすくい、浪花節、音曲、日本舞踊、芝居、ものまねなど、それぞれの演者が得意とする芸に、太夫と才蔵の掛け合いの笑いを加えたもの」とされている。ちなみに、太夫はツッコミ、才蔵はボケの役割を果たす。
この万才から、掛け合いの面白さに焦点を当てたのが『漫才』であり、この近代漫才を始めたのが、昭和5年にコンビを組んだ横山エンタツと花菱アチャコである。(ちなみに、万才と区別するために、当時流行していた漫画から『漫』の字を取り『漫才』と書くようになった。)

『漫才論争』が盛んに報じられているとき、ふと家にあった花菱アチャコの著書『遊芸稼人 アチャコ泣き笑い半世紀』を読み返してみた。そして、花菱アチャコは初めて客前で『しゃべりだけの漫才』を披露したときのことについて、このように振り返っていた。

河内音頭のうまさで鳴らした、元祖玉子家円辰以来、唄や鼓や踊りの腕を競うのが、それまでの漫才であった。そしてつなぎに、バカ話のしゃべくりを入れる。
(中略)
私たち二人が、ともにそれらの漫才の要諦とされているものに不得手だったことが、後になって結局は幸いしたのだが、その時は最大の障壁となって目前に立ちはだかった。せきたてられる舞台を前にして、エンタツ氏と私は話し合った。ひとつ我々の得意な、しゃべくりだけで漫才をやってみようじゃないか———。
そのうち客席から
「二人出てきたんやから漫才やれッ」
という声が飛んできた。
「漫才やってまんねんで」
というと
「ほんまの漫才やッ」
と返ってくる。
「ほんまの漫才でんがな」
とつぶやくようにいうと
「アホ、漫才はやなァ、歌って踊るんや」
「それが歌えまへん」
「踊れまへん」
二人が口をそろえていうと
「ほなら、やめとけェ!」
言ったかと思うと、お客は次々にてすりに足をのせてひっくり返ってしまった。私たちの顔も見ないように、話も聞かないように、足の裏を舞台に向けるのである。
「引っ込めッ」
「ヤメロッ」
怒号とミカンの一斉攻撃で、さしもの私たちも、ホウホウの体で舞台を逃げ出した。舞台を走りながら、エンタツ氏は私にささやいた。
「ミカンの一斉攻撃くうとは、こりゃイッセイ一代の不覚やな」
私も、思わず答えていた。
「そや、これがほんまのミカンセイや」


今の感覚で読むと、しゃべくり漫才に対して「漫才やれッ」と野次が飛び、客席からミカンが投げつけられることなど考えられないが、見て分かるとおり、漫才は万才の定義を裏切るところから始まっている。

エンタツアチャコが登場して以降、様々な漫才の形が登場し、様々な評価がされてきた。以降の漫才コンビがどのように表現されて来たのか、逐一引用していくと長くなるので別の機会があれば書こうと思うが、上岡龍太郎さんが『LIVE PAPEPO 鶴+龍』で語ったフレーズだけはメモしておく。

漫才をヒットさすコンビというのは得てして後に悪い影響を与えるんですよ。
例えば、エンタツ・アチャコね。近代漫才の中興の祖みたいに言われてますけど、実はエンタツ・アチャコがあんだけ人気を得たということは芸無し漫才師を作り出してしもたんですよ。昔の漫才師は真似し漫才でね、三味線も弾けりゃ踊りも踊れる、歌舞伎の声色もできりゃ浪曲もうなれるっちゅうのが漫才師やったのに、エンタツ・アチャコが出たお陰で何の芸も無い、ただボーッと立っててもサラリーマンみたいな顔しててもできる漫才が通用するようになった。
だから必ずヒットするもの、世間を騒がせるものはいいとこもあるけど、弊害もある。
だから、やすきよが出てからキャッチボールやなくお客さんに
 「知ってまっかコイツ、こないだアホでっせコイツこないだどこどこ行ったらこんなこと言いまんねん! 」
「それを言うならオマエかてせやないかい! 言うたろか」
っていう、二人漫談が成立してしもたんですね。
非常に、やすきよの功罪でいうと、罪のほうですか。

結局のところ、漫才は時代の空気を反映し、まだ他の人がやっていないことを見つけ出し題材にしていく性質上、次々に新しい形のものが出てくる演芸なのだと思う。2000年後の『M-1グランプリ』では、「あのコンビは喋りだけで光線銃を使わなかった。」という理由で『漫才論争』が起こっているかもしれない。また、長々といろいろな文章を引用した人間が言えることではないが、『漫才論争』について、私個人として感じていたことは、「笑おう」という気持ちでお笑いを見た方が、絶対人生楽しいのにな、という一言だけである。


(参考文献)
花菱アチャコ『遊芸稼人 アチャコ泣き笑い半世紀』アート出版

文化デジタルライブラリー ホームページ
https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/

マヂラブ『Mー1』王者で起きた"漫才論争"松本人志と太田光の意見が一致「規定されることを拒んでいる」
https://www.oricon.co.jp/news/2180486/full/

Mー1王者・マヂラブのだが"漫才論争"に断「笑いとは定義を覆していくもの」
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/2630763/

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