ウガンダ-コロナ対応 続編(3) 日本への退避
※誤って記事が削除されたため、2020年4月6日の記事を再掲致します。
ウガンダで宅配事業をしている伊藤です。
先週土曜日に日本へ帰国しました。
COVID-19の感染自体はまだまだ少ないウガンダ(50名弱)、死者数も出ていません。
しかし、COVID-19の影響で国の経済が停止し、営業出来ない事、この期間に日本で進めなければならない事がある事、そして情勢不安からの治安リスクもあり、帰国する事にしました。
ここ2週間、一生に一度経験するかどうかの貴重な体験の連続でした。
3/22にウガンダでは国境が封鎖になり、陸路、水路、空路全てでの国境の行き来が禁止になりました。
その後、3/25にアメリカ大使館が交渉し退避便が出て、知り合いの日本人も多く帰国しました。
3/26に公共交通機関、ボダ、マタツが禁止になり、
3/31からは自家用車も含めて乗り物での移動も禁止になりました。
退避便の確保
アメリカ大使館が再度退避便を出すという情報が出ましたが、はっきりしません。
カタール航空は、『世界の帰国困難者を帰すために便を運航し続けます』と表明してくれているのですが、国が国境を閉じている中、一筋縄ではいかなかったようです。
4/1に便がオープンするもキャンセル。
再度、4/3の便がオープンすると噂が回りました。
私はアメリカ大使館からの治安メールも受け取っているのですが、そこでもアメリカ国籍対象者優先で応募が始まりました。
カタール航空のシステムも安定せず、10回に一度くらいしか便が検索に出てきません。出てきても、エコノミーは満席。ビジネスクラスのみなど安定しない状況が2-3日続きました。
私は幸いにも、日本大使館、JICAなどとも連携を取りながら情報を収集しており、いち早く4/3の便をブックする事ができました。
が、通常往復で2500ドルくらいのカタール航空ですが、今回は片道2900ドルと非常に高額でした。(ビジネスクラスしか空きの無かった方もおり、ビジネスは6500ドル越えと数倍の値段だったため、エコノミーが取れただけでも良しとします)
それでも、国境封鎖しているタイミングで、退避便を出してくださった、アメリカ大使館カタール航空には感謝です。
乗り物移動禁止の中での空港移動
次の課題は空港への移動手段です。
自家用車含め乗り物での移動が禁止になっている中、40キロ以上離れた隣町エンテベにある空港までどう移動するか?が課題になります。
大統領の声明では、『緊急ややむを得ない場合には、RDC(各都道府県に一人いるComissioner)から許可を得ればよい』と言いますが、150万人の人口があるカンパラでRDCへの許可を取るなど、一個人では不可能です。
幸いにも大使館から『そこの移動は大使館で何とかするので、まずはチケットの確保をお願いします。』という非常に心強い言葉!
最終的には大使館もRDCの許可を得るのは難しいと考え、3/31の『Diplomatic serviceの場合は特別許可する』という声明が出たので、大使館ナンバーの車で送迎して頂く事になりました。
乗り物での移動禁止措置の前に、車移動であっても感染を避けるためにドライバーを入れて3名を超える乗車をしてはいけない。との発表もあり、一台に乗れる車はドライバー除き2名のみです。
また、今回は退避する邦人の数も多く、輸送可能な車も限られていることから、前日にエンテベのホテルへ移動し、そこで一泊してから移動となりました。
私のような一民間人が帰国できたのも、大使館の方々のご協力のおかげです。。本当に感謝です。。
エンテベ空港の入り口で冷や汗
車でエンテベ空港に入る際に、通常車から降りてセキュリティチェックがあるのですが、今回は加えて体温測定がありました。
その体温測定で38度が出ます。。。
セキュリティオフィサーより『あ、38度。ダメ。ここで待ってて』と。。
え??いや、朝、熱を測った時は36.7度(私の平熱)だったのだが・・・
この赤道直下の炎天下の中で待っていたこともあり額の温度が上がっています。。。
もう一度測ってもらい、37.8度。。
マジか。。。。
その後、別の場所で測ってもらいOKしてもらいました。。
空港に入ってからもドキドキ。。
周囲の友人もドキドキ。。
30分くらい経って、スーツケースから持参した体温計で測り直したら36.8度と平熱でした。。良かった。。
その後、チェックイン前にも体温測定があったのですが、36.5度と平熱でした。
多くの友人と一緒に飛行機旅
17時半発の便でしたが、空港到着は12時前。
空港には知った顔が多くいます。
在ウガンダ邦人約300名のうち、今回の退避便による帰国者は約50名。
大半の邦人は知り合いであり、これだけ多くの知人と同じ飛行機で日本に帰る経験は初ですし、今後もないでしょう。
長い待ち時間も、いつもとは違う雰囲気も、これだけ友人が一緒だと心強く、楽しい気分になります。
(年齢層の幅広い修学旅行のような雰囲気でした。)
空港では、アメリカ人とみられる方々が空港職員に混じってセキュリティやチェックイン業務を手伝っています。
アメリカ大使館の職員なのか、
ドーハ便は満席。
予約が殺到し、機体を一つアップグレードしたとの事なので、当然でしょうか。
機内には様々な人種の人がいましたが、日本人もマジョリティーの一つだったように思います。
ドーハに到着。
多くの免税店が営業していません。深夜到着とはいえ普段は24時間業務の空港です。
幸い、フードコートなどは開いています。
ウガンダは感染者も少なく、死者も出ていないため、感染リスクがあるのは、ドーハの空港とドーハから日本への便だと思っていましたが、
ドーハの空港もガラガラで感染のリスクも少なく安心しました。
乗り継ぎでも、こんなに多くの友人と一緒に行動しており、心強く雑談も弾みます。
ドーハから日本便はより大きな機体。
こちらはガラガラでした。
久しぶりに、3列シートを独り占め。身体を横にしてぐっすり眠る事ができました。。
また、周りもウガンダからの関係者だけだったので、感染の心配も少なかったと思います。
成田検疫での長い待ち時間
18時前に成田到着です。
前日の4/3から、感染対象国を大幅に増やしたこともあり、成田の検疫は大慌てだったようです。
感染対象国からの帰国者全員にPCR検査を義務付けたため、時間がかかります。
我々は、ウガンダおよび乗り継ぎのカタールともにPCR検査対象国ではないため、スムーズに出られるか?と思ったのですが、前に到着した便の検査が終わっておらず、長い時間待つ事になりました。
まずは到着後機内で待機。1時間くらいでしょうか、待機になりました。
幸いにもモニターはついているので、映画を観たりしていました。
その後、その機体はドーハに戻る事もあるのか、機内から外へ出ます。
待つ間も、発地別に分けられており、ウガンダ関係者は全員同じ場所で待つ事になりました。
待ち時間が長くなり、不安もありましたが、これだけ周りに知り合いがいると安心できます。
トイレも係員が指定されたトイレに案内してくれ、感染への配慮をしているのだなと思いました。
係員の方から『本当はPCR検査対象国から来ていない人は分けて早めに通してあげたいのですが、検疫の方々も人数も足りずバタバタしていてすみません。』との事。
いやいや、この状況では仕方ない。
こんな時期に帰国出来ただけでも幸せな事です。
『今、前の前の便の方が終わり、前の便のxx名が終わったら、ウガンダの方の番になります。』との事。こういう案内もウガンダでは中々ありえないので、嬉しいです。
3時間半ほど待った9時半過ぎに、ウガンダの番になりました。
10名ずつに区切られて、問診を受けていきます。
我々は体温測定もなく、問診と自主隔離中の説明などを受け、一人数分で解放されました。
帰国者の公共交通機関、タクシーの利用が禁止されているため、成田空港は異様な雰囲気でした。
いつもタクシーやバスなどでごった返す空港玄関には警察官のみが立っており、異様な静けさでした。
14日間の自主隔離生活
さて、ここから14日間の隔離生活が始まります。
実家には高齢の両親もいるため、ビジネスホテルで14日過ごす事にしました。
ここ7-8年、日本に帰国して一人でゆっくり過ごす時間などなかったので、一人で籠る生活は不思議な感じがします。
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