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【神奈川のこと104】ランドリー号に乗って=後編=(鎌倉市/笛田リサイクルセンター)

 西鎌倉に新しくできたカフェ「ヴァルマ」を出発した我々鎌倉リトルリーグ(以下鎌倉LL)同級メンバーの一行は、岩沢監督自宅 ➡ 龍口明神社 ➡ いんちゃん実家跡地 ➡ 手広中学校(旧クローバー畑)を経て、鎖大師(つまり青蓮寺)にて墓参。そして、練習終わりに毎回みんなで立ち寄った「だるまや」がかつてあった場所を、現在のセブンイレブン手広西店はたまたその隣の焼肉羅生門と特定すべきか議論しながら、最終目的地であるグラウンド跡地の現、鎌倉市笛田リサイクルセンターへとたどり着いた。

 また、懐かしい人たちとの再会も実現した。当時の指導者だったNさんとウチの父、岩沢監督の息子で鎌倉LLの先輩Kさん、カフェ「ヴァルマ」の運営会社で役員を務める鎌倉LLの後輩ともき。そして、偶然にも手広の自宅前で洗車していた小中学校の同級生、みっちゃん。

 それにしても道中、思い出話が尽きない。この季節燃えるように満開となるツツジのごとく話に花が咲く。最年少チーム「スワローズ」時代のこと。学年が上がってマイナーチーム「ホークス」時代になって野球がだんだんと面白くなってきたこと。当時の先輩、大人たち、共通言語の数々。それは曖昧模糊とした観念ではなく、ひとり一人の中に現存する明晰なる遺伝子だ。

 何度も対戦した湘南ブロックの逗子、藤沢、綾瀬、茅ヶ崎、そして平塚の各LL。勝つことで大きな自信となった横浜中央LL戦。目の前で緑西LLに敗れた優勝候補筆頭の旭LL。瀬谷LLのグラウンドで行われた昭和58年(1983年)夏の最後の公式戦では、最も親しくしていた藤沢LL相手に、4点差を追う最終回の猛反撃で、同点の走者たけしがホームクロスプレーでタッチアウト。6x-5で敗れ、リトルリーガーとしての4年半を終えた。あの日ランドリー号は涙にくれる僕らを乗せて鎌倉に帰り、岩沢監督は無言でタバコ片手にハンドルを握っていた。あれが最後のランドリー号。

 今や笛田リサイクルセンターの巨大な建物がどっかりと鎮座しているグラウンド跡地に、当時の球場そのものの面影は何もない。ただ、ライトフェンスの奥に見えた工場の建屋、すぐそばを流れる柏尾川、そして、巴機械工業から聴こえてくるガチャン、ガチャンという作業音は今もそのまま在る。

 時の流れが忙しすぎてついて行けない時も、決して忘れない場所。魂に刻まれている応援歌、ランニング時の掛け声と共に。

 岩沢監督は、亡くなる前年まで現役でクリーニングの配達を続けていた。やや前かがみになってハンドルを握り、地元を走る姿は昔と何も変わらなかったが、ランドリー号だけがひと回り小型になっていた。

 岩沢監督の魂よ、安らかに。
 鎌倉LLイーグルス昭和58年(1983年)卒団選手一同より感謝を込めて。

「(主将)グラウンドに礼!」
「(全員)あっした!」

 みんな、練習終わったら、だるまや寄るべ。

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