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【神奈川のこと92】森下典子さん(横浜市保土ヶ谷区/かながわアートホール)

ついに会うことができた。

よって、これを書く。

先日、保土ヶ谷公園内にある「かながわアートホール」にて、映画「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」のDVD鑑賞会があった。そして上映後には、原作者の森下典子さんが登壇してのお話しがあった。

森下さんは想像していたよりも、うんと気さくで明るく、愉快な方であった。お話しを聴いていて何度も膝を叩いて笑ったし、へぇ~と感心した。そう考えてみると、なるほど書かれている文章からいつも感じ取ることのできる、あの森下典子だったな~と思う。

会の終了後には購入した「日日是好日」の文庫本にサインをしてもらった。

短い時間であったが、サインをしてもらっている間に想いを伝えることができた。「神奈川新聞に月一回掲載されているエッセイを読んでファンになりました。特に、白楽にあった映画館の白鳥座が解体される様子を書いたエッセイに感動したんです」。すると、「ああ、白鳥座はだんだん知っている人がいなくなってね~」とこれまた気さくに答えてくれた。

本当は、「森下さんがよちよち歩きの頃に ”かっくまら” と呼んでいた鎌倉市からやって来たんですよ」と言って、「あらま、そうなのよ~、かまくらって言えなくてね~」なんて笑いながら森下さんが答えるというやりとりも構想していたが、結局それは言えずじまいであった。

僕よりも一回りちょっと上の世代であるが、彼女が描く昭和の横浜の空や街の風景、家族の肖像にはどこか見覚えがあるのだ。幼い頃に髙島屋を「たかしやま」と呼んでいた点も共通している。

何だか、まるで親しい年上の従姉が書く文章を読んでいるような感覚となる。だから、彼女が苦戦すればこちらもハラハラし、喜べば安心する。彼女が憧れる人物に同じように魅かれ、時折見せる涙にはそっとそばにいてあげたいと思う。

ずばり、このエッセイ【神奈川のこと】を書き始めたきっかけは、彼女のエッセイに触れたからである。「自分も書いてみたい」って生まれて初めて思ったのだ。そして、令和2年(2020年)にnoteに登録してキーボードを叩き始めた。あっ、そのこともこないだ森下さんに会った時に伝えようと思っていたけど、言えなかったな~。

昭和50年(1975年)前後、小学校に上がるか上がらないかぐらいの年齢の僕と、20歳前後の森下さん。きっと、横浜駅西口のどこかで、はたまた山下公園の芝生で、あるいは元町の歩行者天国で、すれ違っていたかもしれない。

そこには、昭和の横浜の熱気が排気ガス交じりの空気の中に横たわっていた。そして、いつも空は青かった。











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