見出し画像

【神奈川のこと81】教会委員長になっちゃった(鎌倉市/カトリック大船教会)

ああ、まいった、まいった。
とうとうなってしまった。
教会委員長になってしまった。

いつかはお鉢が回ってくると考えていたものの、もう少し先かなと高をくくっておりました。

それにしてもカトリック大船教会に戻ってきて今年が10年目なので、まあちょうど良い節目と言えば節目なんですけどね。

しかしこう言っちゃあ何ですが、忙しい仕事です。土日がもう、集会や作業などでてんやわんやと相成る次第。平日も四方八方からメールがやってきます。仕事に影響を及ぼしたくないので、よっぽどでない限り土日で対応するようにします。もしくは平日の朝、出社前の時間などで。

そうでもしなければ、のべつ幕無しにやってくる様々の事柄に飲み込まれてしまいます。

キリスト教の信者は、こういう時「聖霊の導き」とか、「主の思し召し」と言ってその運命を受け入れ、いやいやながらも、そこに喜びや使命を見出して突き進むのでありんす。きっと皆さんそうしていると思われるのでありんす。

ですから、私も、「心のともしび」や我が教会が発行する月報「おとずれ」における神父の巻頭言なんかで良い言葉があると、それを心に留めて、忘れないように切り抜いたりなんかしまして、そっと、手帳に挟み込んで後でまた読もうなんてことをするわけです。

2月に就任して、任期は2年。この3ヶ月は様子見気取りで、防寒しながらの傍観を決め込んでいたのですが、そんな訳にはいかず、気が付けばどっぷりと中心に据え置かれておりました。有無を言わさず。まさしくハブの役割なのです。

「えい、ままよ」と書こうと思い、インターネットで検索するとそれは、「ええい、ままよ」が正しいらしい。

そう、この「ええい、ままよ」でやるしかないのです。何しろ古今東西、天からも地からも色々とやってきますから、いちいち、誰かさんの顔色なんざ気にしていては、身体も心も持ちません。

こないだも、近隣にある7つの教会の神父やシスター、それから委員長なんかが集まる会合がありましてね。その中の、分科会みたいなのの座長をいきなり命ぜられましたよ。いきなりステーキならぬ、いきなり座長という聖霊降臨ですから、覚悟も何も一瞬でしなくちゃいけなくて。でも何とかやれました。主の思し召しです。

聖霊というと、鳩が草木の枝をくわえて空を飛んでいる姿を想像するわけですが、こないだの会合での聖霊降臨、あれは、魚群に向かって上空から海に突っ込む海鳥でしたね、まさしく。急降下で波しぶきを上げて降臨してきましたから。

ところで、「話し合い」のことを「分かち合い」と言うんですねキリスト教では。そんなことさえもよく知らないのに、先の会合ではあたかも普段から使っているかの如く「分かち合い」という言葉をこなれた調子で使いました。そして、ええい、ままよでユーモアを交えてみたら、意外にも受けたんです。別の教会の神父が、それをユーモアで返してくれたんです。嬉しい限りです。

ユーモア無しに信仰は語れず。

あと2年間、魚を狙う海鳥の如く次から次へ降臨する聖霊に、自らの肉体と魂は対処し続けられるのでありましょうか。イワシの群れのように食べ尽くされてしまわないでしょうか。そして、ハブとしての役割を全うできるのでしょうか。Oh no, oh no, oh no.

全くもって自信はないので、あまり先のことを案ずるのは止めました。

全くもって自信はないので、周囲の人たちに頼ることに決めました。

全くもって自信はないので、やはりユーモアを交えることにしました。

全くもって自信はないので、親友ひのちゃんが先日教えてくれた本を心に留め置くことにしました。そう、「沖縄の島守」。

War is over, if you want it.





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?