【神奈川のこと63】姉妹都市(日本/鎌倉市、フランス/ニース市)

今年の夏、鎌倉市は、オリンピックフランス代表セーリングチームのホストタウンとなった。

よって、これを書く。

鎌倉市とフランスのニース市は姉妹都市である。

提携してから、もうかれこれ50年以上の時が経っている。

あれは、昭和63年(1988年)、高3の夏休みのこと。一人の少女がニース市からやってきた。その娘の名は、キャロリーヌ(当時は、英語読みでキャロラインと呼んでいた)。

姉妹都市交流の一環として、鎌倉市にやってきたのだ。

キャロリーヌは同い年であった。背は高い方ではなく、可愛いいとも美しいとも言える顔立ちで、礼儀正しく、時にチャーミングで、そしてある種の奥ゆかしさがある娘だった。

我が家はホストファミリーではなかったのだが、母が市の国際交流に関するボランティア活動をしていた関係で、キャロリーヌは家に遊びに来たりした。

そして、鎌倉市の職員の方々数名と、私、そして当時付き合っていた彼女(つまり、今のカミさん)と一緒に鎌倉駅西口(通称裏駅)にあるお好み焼き屋さんで、キャロリーヌを交えて一緒に食事をした。

楽しいひと時であった。

それから、ホストファミリーであった家の、私より少し年上の姉妹と、キャロリーヌ、それから、彼女(同、今のカミさん)と5人ぐらいで、東京ディズニーランドへも行った。

これまた楽しいひと時であったが、今、写真を見返すと、部活を引退し、中途半端に伸びたスポーツ刈の頭に、当時流行りのストーンウォッシュのジーパンをはいた己の醜さには閉口するばかりである。

それに比べて、キャロリーヌは、自分に似合う服が何かをよく分かっている、センスの良い着こなしをしている。

翌年、平成元年(1989年)、大学一年の夏休み。今度は、私がニース市を訪れた。ホストファミリーは、キャロリーヌ一家であった。

初めて訪れたニースは、確かに、地中海側から眺める景色が、七里ガ浜から眺めるそれに似通っていると感じたが、スケールは全体的にニースの方が大きかった。

キャロリーヌの家は、地中海を見渡せる丘の上にあった。そして、街の中心でレストランを経営していた。

朝は少し遅めに起きる。地中海を照らす太陽のような、明るくて陽気なキャロリーヌのお母さんから、「ボンジュール!」とキスの嵐を受ける。漂う香水の香り。そして、髭もじゃで強面だけどいつもニコニコとしているキャロリーヌのお父さんと握手。一緒に泊まっているキャロリーヌのボーイフレンドとも握手。こうして一日は始まる。

地中海を臨むテラスでの朝ごはん。パンをコーヒーにひたして食べる。その後、Tシャツと短パン姿で、そのボーイフレンドが運転するローバーのミニに乗って市内を巡る。助手席にキャロリーヌ、後部座席に自分が座る。このボーイフレンドの運転がまた荒いこと。助手席で、キャロリーヌが何度も「ウージュ!ウージュ!」と叫ぶ。"Rouge !"(赤)、つまり赤信号だから止まってと叫ぶのだ。

午後4時ごろに一旦帰宅し、2~3時間ほど午睡。

シャワーを浴びて、今度は襟付きのシャツと長ズボンの装いに着替えて、キャロリーヌの家が経営するレストランに向かう。鋭角となっている通りに面したレストランで、テーブルは歩道にまで出ている。そう、映像でよく目にする典型的なフランスのカフェレストランだ。

気さくなウェイターたちが笑顔で歓迎してくれる。十代後半の食べ盛りにはたまらないボリュームと味付けのディナーに舌鼓を打つ。エスカルゴに大盛のフレンチフライ、濃厚なソースのかかったステーキ、締めくくりは生クリームたっぷりのパフェ。ああ、たまらなかった。

みんな路上駐車をしていて、警察が来る度に大騒ぎで車を動かし、警察がいなくなると、またワイワイとやりだす。犬を連れて入ってくる客も多い。そんなにぎやかな夜は延々と続く。この時間を楽しむために、一日があるのだ。

数日間の滞在の間に、一度だけ、ニース市役所に形ばかりの表敬訪問をして、担当者らしきおじさんの職員と一緒に写真を撮った。

地中海で泳いだ。海水は相模湾よりしょっぱかったと記憶している。よく浮かんだとも。はじめの内は気が付かなかったが、そこはトップレスビーチであった。キャロリーヌも、私が沖の方まで泳いでいると、浜辺ではそのようにしていたが、戻ってくるとゆっくりと身に着けた。慌てて身につけるというよりも、逆に身に着ける方が不自然だけど、仕方なくと言った具合であった。

かなりドキッとした。

そんなキャロリーヌも、今は二児の母親となり、ルクセンブルクに住んでいる。そして、平成31年(2019年)のお正月に家族で日本にやってきたので、30年ぶりに再会し、鎌倉を案内した。

楽しいひと時であった。

コート・ダ・ジュールの海に浮かびながら、強い日差しに照らされる赤茶けた丘を眺めていた。

32年前の夏休み。


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