【神奈川のこと58】大仏前に敗れた大仏(京浜急行バス/鎌倉山~鎌倉駅)

今週は、運転免許証更新で鎌倉警察署を訪れるため、バスに乗った。

よって、これを書く。

鎌倉市には二つの会社のバスが走っている。

一つは、京浜急行のバスで、もう一つは江ノ電のバスである。

小学生の頃は、京浜急行バスに乗って鎌倉駅方面の塾に通っていた。

高校時代は、藤沢駅まで江ノ電バスに乗って通学した。

今回、運転免許更新で鎌倉警察署を訪れるため、鎌倉山のバス停から、鎌倉駅行きの京浜急行バスに乗った。

この鎌倉山~鎌倉駅間の個性あふれるバス停を紹介する。

所要時間は、道が空いていたらざっと25分というところ。全18駅の旅だ。

まず、スタートの「鎌倉山(カマクラヤマ)」。ここは、ぐるりとロータリーになっていて、江の島方面、大船駅方面、そして、鎌倉駅方面の三方向に行けるようになっている。なかなか味のある空間だ。春には桜がきれいとなる。桜のトンネルから現れたバスが、ロータリーをグルっと回って乗客を乗降させて、再び桜のトンネルに消えていく、そんな風情が楽しめる。

次は、「住吉(スミヨシ)」。鎌倉山の住所表記は、今やすべてが、鎌倉山〇丁目となっていて、味もそっけもないのだが、昔は、それぞれ地名がついていたようだ。この住吉もその一つである。この付近を散歩していると、旧い家の表札に住吉という住所表記を目にすることがある。このバス停は、意識していなければ、見落としてしまうほどひっそりと佇んでいる。日傘をさした和服の女性が似合う。

次は、「見晴(ミハラシ)」。その名の通り、この近辺は急斜面の深い森の先に相模湾を眺望できる。そのくせバス停はうっそうとした木陰に隠れている。屋根付きのボックス型バス停に、昭和の名残が漂う。

次は、「高砂(タカサゴ)」。そば処、らい亭の最寄はこちら。小中学校時時代の同級生、イチローの家が目の前にある。鎌倉山のバス停の中で最も日当たりの良いところにある陽気な佇まいは今も健在。小学生の夏、クワガタ採りに興じた懐かしさが真空パックされた空間となる。

次は、「旭ヶ丘(アサヒガオカ)」。目の前にあるマウンテンという名の喫茶店は、小中学校時代の同級生、じゅんじゅんの実家だ。鎌倉にゆかりのあるあの有名アーティストの "K" もよく訪れるという。また、今はもう閉館してしまったが、孫が小学校の同級生だった、棟方志功の美術館の最寄でもある。

次は、「若松(ワカマツ)」。昭和53年(1978年)、西鎌倉小学校2年4組に転校し、初めてできた友達、ゆたとうしおはこのバス停を使っていた。鎌倉山からバスに乗って通学してくる友達の、「乗り継ぎ券ください」という慣れた口調がうらやましかった。乗り継ぎ券の説明は割愛する。

次は、「笛田(フエダ)」。鎌倉山での最後のバス停となる。もちろん、鎌倉駅方面から来た場合は、鎌倉山最初のバス停ということになるのだが。ああ、ミナという名の小学校時代の同級生を想い出す。森雪やメーテルのような松本零士が描く、上品な美しさの中にどこかスッと影のある、そんな魅力ある女の子だった。

バスは、ゆっくりと坂を下る。

次は、「常盤口(トキワグチ)」。あとは平坦な道で、一気に鎌倉駅まで行きますよという合図となるバス停だ。もちろん、帰りは、これから鎌倉山にのぼりますよという合図だ。常盤をトキワと読めるようになったのは、このバス停のおかげだ。尚、自家用車でこの道を通る時には、その手前を右折するのが常道となる。

次は、「火ノ見下(ヒノミシタ)」。この路線で最もカッコイイ、バス停の名。いや、日本全国見渡しても名のカッコ良さでは引けを取らないのではないか。秋の木枯らしが似合う、まことに地味なバス停なのだが、ここを通る度に、手塚治虫の火の鳥が心の中で舞う。

次は、「打越(ウチコシ)」。小学生時代に通っていた塾、鎌倉ゼミナール(通称鎌ゼミ)で仲の良かったイマイが使っていたバス停。今でも、あの時の親しみやすい、抱きしめたくなるような友情が心を往き過ぎる。尚、このバス停の先に広がる丘の向こうには、風の谷が存在することを知っている。そして、秘密のトンネルがあって、そこを抜けると、極楽寺となっていることも。秘境にも似た、不思議な魅力がここにある。

次は、「大仏坂(ダイブツザカ)」。ああ、この路線で最も地味なバス停。トンネルを抜け、ゆるやかな坂道の途中にこのバス亭はある。山に囲まれていていつも苔むした佇まいだ。乗降する人もあまり見ない。近くに剣道場がある。父親の同僚、「本ちゃん」はここで子供たちに剣道を教えていた。本ちゃんは、私が高校生の頃だったか、早逝してしまった。本ちゃんの少し鼻にかかった野太い、男らしい声が好きだった。

そして、いよいよ次が掲題の「大仏前(ダイブツマエ)」となる。私が小学生の頃、このバス停の名は、「大仏(ダイブツ)」であった。同じ場所に、京浜急行バスは「大仏」と名付け、江ノ電バスは「大仏前」と名付けていた。子ども心に、なぜ、違う名を付けるのかと考えていた。しかし、私は、「大仏」の方が好きであった。その次のバス停は、「長谷観音」な訳だし、何と言ってもバス停に書かれた「大仏」の二文字の方が、「大仏前」の三文字よりも座りが良いと思えた。しかし、いつからか、「大仏」は「大仏前」に統一されてしまった。大人の事情なのか。そんな事情とは無縁の私の無垢な心に悲しみの雨が降る。「大仏」よ、これからも、このバス停を通る度に、心の中でそう呼び続けるであろう。

次は、「長谷観音(ハセカンノン)」。大仏前にならえば、長谷観音前でもいいじゃん、と思う訳である。もっと正確に言えば、「長谷観音の100メートルぐらい前」というバス停名にしたっていいじゃん、と思う訳だ。「大仏前」の八つ当たりとなってしまった。

次は、「海岸通り(カイガンドオリ)」。由比ヶ浜まで数百メートルと言った場所にあるが、なぜかこの名称となっている。昔はもう少し海岸が近かったためか。よく知らないので、多くを語るのは止めておく。

次は、「長谷東町(ハセアズマチョウ)」。古都らしいこの名称が好きである。

次は、「笹目(ササメ)」。前述の鎌ゼミの教室があった場所だ。小5から小6の頃、暑い夏も、寒い冬もこのバス停で乗り降りした。西鎌倉小学校からは他に通っている同級生はいなかった。だから第一小、深沢小、御成小なんかの友達ができた。

次は、「六地蔵(ロクジゾウ)」。警察署へ行く時はここで降りて歩く。"THE BANK"と書かれた旧い建物が象徴的である。江ノ電が交差する鎌倉らしい場所である。

次は、「下馬四ツ角(ゲバヨツカド)」。終点の一つ前にやってきました。この強烈なるバス停名。ここ無くしては鎌倉駅までたどり着けない。この下馬は、シモウマなんて読み方はしません。ゲバなんです。そう、正真正銘、昔はここで馬を下りて、え~、どこに行ったんでしょうね?八幡様ですかね?幕府かなんかですかね?ちょっとそこらへんは、よく分からず、ぴーよこちゃっちゃということでお許しくださいませ。

終点、鎌倉駅に到着。

所要時間25分のはずが、3時間半かかってしまった。

真新しい免許証の写真は、やはりすっとぼけ顔となっていた。




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