野のうた はじまりの音楽 曲目解説(常民一座ビッキンダーズ公演)

この記事は2022年11月4日(金)に大泉学園ゆめりあホールで行われる常民一座ビッキンダーズの公演「野のうた はじまりの音楽」の演奏曲目の解説です。

”まみやまみれ”について

作曲家・間宮芳生のライフワークともいうべき歌曲集《日本民謡集》全27曲を、ビッキンダーズの座員三人が全曲歌うまで続ける公演シリーズ。
一座結成当初の2017年から取り組み始め、今回が四巡目となる。各人全曲制覇までようやく折り返しです。
今回の公演では合唱団である”常民唱団ばっきゃーず”を結成し、間宮芳生の代表作《合唱のためのコンポション第一番》にも挑戦する。

第一ステージ
間宮芳生作曲《日本民謡集》より

この歌曲集は間宮芳生(1929年生)がそのキャリアの最初期から書き続けている、名実ともに氏のライフワークと呼べる作品である。
民謡と聞いて一般に想起されるような有名曲は少なく、間宮氏が声楽家内田るり子氏と共にNHKの膨大な民謡採集記録の中から選りすぐった仕事唄や地方の伝統芸能の唄が題材とされている。
唄の旋律は原曲の民謡ほぼそのままであるが、ピアノパートにさまざまな仕掛けが施されており、間宮自身が影響を受けた後期ロマン派、バルトーク、ジャズ、各地の民族音楽から受けたエッセンスが表出されている。
現在出版されている楽譜(全音出版社刊)には1955〜88年に書かれた全6集24曲が収録されているが、今回は2006年に初演された未出版の3曲を加え、その中から10曲を演奏する。

1,御祝(岩手県)

唄:佐藤拓
岩手県紫波郡乙部村で採集されたもの。「ごゆわい」と読む。祝儀や大漁唄い込みなどの祝いの席で歌われる。曲中にはは雅楽の歌いものにある”ふりすて”という高い音から低い音へ急に音を投げ捨てる技法があり、歌詞よりもハヤシコトバのメリスマが多く、かなり古い形態をとどめた唄であると考えられる。
元々無拍の謡いものであるが、この編曲では半拍はみ出た変拍子を織り込むことによってその律動の自由さを表現している。

2,朝草刈唄(青森県)

唄:日下麻彩
八戸市の近く、三戸郡長苗代村。
農村の人たちは、緑肥や家畜の飼料にする草を刈りに、朝もやを分けながら山道を登る。
その道すがら、うたわれた唄。
時に、子供を背負って出かけた人もいるというから、足取りはしっかりと重く、帰り道はヘトヘトに疲れていただろうと想像する。
草刈り作業の最中にもうたった可能性はあるが、ワンフレーズが長くゆったりとした旋律であることから、うたう人と作業する人は別々だったのかもしれない。
間宮芳生の書いたピアノパートからは、朝の山道の冷たい空気や、木々のざわめき、鳥のさえずりのような音が聞こえてくる。
終止の音が若干うわずるという特徴があり、南部地域に伝わる古い盆踊り唄「なにゃとやら」に影響を受けているらしい。

3,松の舞(青森県)

唄:田村幸代
東北地方一円に行われている田植踊りの一種「えんぶり」の中で踊られる舞。
現在でも「えんぶり」は毎年初春(小正月)の祝いに行われ、その年の豊作への祈願を込め、大きな烏帽子をつけた太夫が田作りの情景を祝詞のように唄い、「朳」と呼ばれる農具を摺りながら踊る。
太夫たちの踊りの間に囃子舞(祝福芸)の一つとしてこの「松の舞」が踊られる。
子供たちが松の葉に見立てた扇を持ち、回ったり跳ねたりしながら踊る様が実に趣深い。

4,鷺舞(島根県)

唄:佐藤拓
島根県津和野町に現在も伝わる伝統舞踊で、国の重要無形文化財にも指定されている。七夕伝説に基づき、二羽の白鷺を模した舞手が寄り添うように優雅に舞う。唄は四度(コブシを含んでも五度)の音程内だけで歌われる極めて簡素なもので、伝承の古態を偲ばせる。
長大なピアノの前奏と間奏があり、今回は鷺舞の伝承からインスピレーションを得た舞を加えている。

5,茶もみ唄(山形県)

唄:田村幸代
「茶もみ」は製茶の過程で蒸された茶葉を揉み、水分を蒸発させて乾燥させやすくする工程である。
明治以降、主に新潟県の村上地方から茨城県より南の地域で他に移出し生産額を得る製茶地が増えていったが、それ以前にもおそらく全国的に製茶は行われており、寒い地域である東北の方でも自家用の茶を作っていた。
この「茶もみ唄」においても、「新田茶」と呼ばれた製茶が明治頃まで県内の人々に親しまれていたようで、その奥ゆかしい唄がなんとも印象的である。

6,南部牛追唄(岩手県)

唄:佐藤拓
岩手県中東部の岩泉町の放牧地から数十頭の牛を引き連れて県央の盛岡へ向かう牛方によって歌われた唄。現在よく歌われるお国自慢の歌詞ではなく、牛方の仕事ぶりからでた南部訛りの生々しい歌詞で歌われる。曲中の「ハイーパパア」は、道草を食う牛を嗜める掛け声であり、また大事な牛を慮る優しさの表れでもある。

7,題目踊(京都府)

唄:日下麻彩
京都市左京区(松ヶ崎)の涌泉寺(旧:妙泉寺)に伝わる踊りで、今もお寺の檀家さんによって継承されている。御題目「南無妙法蓮華経」を唱えながら輪になって踊る。
男女の不思議な掛け合いと、団扇や扇子を使ったシンプルな踊り、太鼓の重い音が特徴的。
法華経を称える4種類の音頭からなるが、間宮芳生の編曲ではそのうち「法法」と「蓮華経」の2曲を繋ぎ合わせ、独唱曲にしてある。
鎌倉時代のおわり、日像聖人の教えを受け、村人が日蓮宗に改宗したことを歓喜し、時の住職が唄い踊ったのが始まりとされる。

8,でいらほん(青ヶ島)

唄:田村幸代
伊豆諸島の最南端、青ヶ島に伝わる神事芸能である。
青ヶ島にはシャーマニズム(巫俗)の伝承が色濃く残り、近代まで巫女、舎人が存在していた。彼らは宗教的行事と呪医の仕事を司り、青ヶ島の大黒神社では卜部、舎人、巫女によって島民参集の下に「でいらほん祭り」が1960年代まで行われていた。
「でいらほん」とは「法華経陀羅尼品 ( ほけきょう だらにぼん )」のこととされ、元々は菩薩や諸尊が厄災 ( 特に病気 ) から法華経修行者を守る呪文といわれている。
祭りでは舎人が女の面を被って横臥し、卜部や巫女がうたうにつれ次第に起き上がってくる所作を演ずる。

9,おいな(新潟県)

唄:日下麻彩
米山、黒姫山、八石山などの山々に囲まれる、旧:鵜川(現:柏崎市南鯖石地区)でうたわれた、古い盆踊りうた。三階節の祖型と言われている。
笛太鼓などの鳴り物を一切使わず、出し音頭(先頭に立つ美声の男性)・付け音頭(女性5〜6名)・上げ音頭(男女10名くらい)の3段に分かれうたい継ぐ。歌詞からは、その地の農民の暮らしが、情緒豊かに浮かび上がる。
「おいな」という名前の由来は不明で諸説ある。木蓮尊者(お釈迦様の弟子)の母親の名前が「おいな」であったという説、アイヌ語の「おいな("昔語り"の意)」と関わりがあるという説、「翁」の訛りという説など。

10,早念仏と狂い(岩手県)

唄:佐藤拓
岩手県和賀町(現・北上市)に伝わる岩崎鬼剣舞の一曲。前半は「南無阿弥陀」を極端に引き伸ばして歌う“早念仏”で、後半は急速な舞の調子である”狂い”のお囃子部分の口唱歌(くちしょうが)で、楽器や笛の音色を歌として覚えるためのものである。躍動感に満ちた剣舞のムードをハヤシコトバのみで再現している。


第二ステージ
間宮芳生作曲《合唱のためのコンポジション第一番》

《日本民謡集》の作曲に取り掛かった間宮は、日本の民謡の中に頻繁に現れる「ハヤシコトバ」(意味をなさない掛け声)が実に豊富なバリエーションを持っていることに気づく。1958年、プロ団体の東京混声合唱団から合唱作品の委嘱を受けた間宮は、たんなる民謡旋律の和声化ではなく「ハヤシコトバ」のみで構成された前代未聞の作品を提出した。それがこの《合唱のためのコンポジション第一番》である。
曲は全4楽章からなり、それぞれ異なる性格の曲想、シラブル、律動によって構成されている。

第Ⅰ楽章

江戸と新潟の木遣りをモチーフとしている。二人の男性ソロの掛け合いにユニゾンを基調とした合唱が続き、ヘテロフォニーと四度重ねの和音が鳴り渡る。神事と結びついた「予祝」の芸能の趣を表している。譜面上は男声合唱であるが、今回は女性四人も加わる。

第Ⅱ楽章

太鼓の口唱歌(楽器の奏法を口真似で覚えるためのシラブル)をメインとし、東北地方の田の草取り唄をベースとした旋律と青森県八戸の代掻き唄が折り込まれる。この代掻き唄は、原曲もハヤシコトバのみでできた珍しい唄で、本作品の発想の源泉となったものである。

第Ⅲ楽章

子守唄風の緩徐楽章。旋律の原型は福島県石城郡泉村(現・磐城市)の子守唄で、ナ行やラ行を多用した柔らかい響きを持つ。津軽の盆踊り“ナオハイ節”を思わせるシラブルを挟み、東北地方の遊び歌“てでぼこ”を引用した鞠つき風の女声合唱が唐突に現れる。

第Ⅳ楽章

秋田県の大日祭頭行事から取られたバスとテノールのソロに続き、再び口唱歌によって神事芸能を模した風景が描かれる。神楽や獅子舞のお囃子、能の鼓、狂言風の発声などが入り混じり、中間部のPrestoでは男声ソロによる絶唱も加わって雑多なエネルギーを発散する。最後は小河内の鹿島踊(東京都奥多摩)の「三番叟」のフレーズで締めくくられる。

第三ステージ
野のうた 海のこえ

馬子唄考(長野・群馬・千葉県)

民謡研究家の町田佳聲(かしょう)と竹内勉によれば、長野県の軽井沢町追分近辺の馬子唄が各地に伝播し、一つのシラブルをコブシとともに長く伸ばす「追分節」系統の歌が全国に生まれたとされる。
今回はその伝播のルートをたどるように。原型に近い「追分馬子唄」、碓氷峠を超えたお隣群馬県の「上州馬子唄」、さらに千葉に伝わって酒席の唄となった「朝の出がけ」を同時に演奏する。

海女唄(山口県)

山口県大津郡の海女たちが漁を終えて浜で火を焚き、冷えた身体を温めていた際に唄われていたのが、この「海女唄」である。
この唄の源流は九州・中国・四国、更には東北地方でも唄われていた「ヨイヤナ」と呼ばれる海の祝唄のうち、後ろに“ションガエ”という囃し詞のつく「ションガエ節」と同じ系統。
鯨漁の祝唄である「鯨唄」とも関連があり、元来は仕事の唄というより祝いの場で唄われていたものを、海の上での作業への景気づけに唄われていたのではないかという説もある。

烏浜アイヤ(福島県)

相馬郡鹿島町の太平洋に面した烏浜の人たちが、酒盛唄としてうたったもので、ハイヤ節の一つ。
ハイヤ節の発祥の九州では、楽器や踊りも入り賑やかだが、相馬の「烏浜アイヤ」はゆったりとしたテンポでのびのびと、どこか哀愁を感じさせる。この北国らしい音の中では、お酒の酔い方も西とは変わってきそうだ。
曲の節はどちらかといえば、宮城県の松島湾沿岸の漁師たちがうたった「浜甚句」に似ている。

気仙坂(宮城県)

気仙(けせん)とは三陸沿岸の地名、現在の岩手県と宮城県の県境付近一帯のこと。江戸時代の銭座(貨幣の鋳造所)で歌われていた「銭吹き唄」をもととしており、転じて祝い唄としても歌われるようになった。威勢の良い伸びやかな旋律は様々な仕事の歌にも転用され、その一つが東北を代表する海の民謡「斎太郎節」である。今回は斎太郎節の掛け声とハヤシコトバを織り込み、民謡が生きたまま変化して行く過渡の様子を描いてみた。

土羽打ち唄(群馬県)

別名利根川堤防工事唄。「土羽」とは堤防の斜面こと。
堤防造りのような大がかりな工事は、今のように専門の業者に一任して済むわけではなく、村を総出で労働したという。人力で作業をするには、かなりの手間と時間がかかるので、このように唄をうたい、足並みをそろえていたのだろう。
大勢の村人が列をなし、音頭とりの掛け声に合わせて、器具を使って土を打ち固める。
途中に語り口調の楽しげなパートがあるが、今回はビッキンダーズ流に、「現代の仕事の休憩」を想像して替え唄をつくった。

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