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三木富雄の耳シリーズについて、2

柔らかい耳の触感を、鋼鉄で表す。
受け止めるものとしての受信装置。
耳の柔らかさと鋼鉄。
強調される柔らかさ。
柔らかな鋼鉄。

硬質なものと、ふにゃふにゃしたもの。
ギョウザのように折りたたむことが出来るふにゃふにゃしたもの。
耳は顔を装飾するフリルのようでもある。
顔の端っこにあるから。

お団子を作るとき、上新粉に水を入れる。
ちょうど、耳たぶくらいの硬さになるまで、よく練る、などどよく書かれている。
やわらかさを測るかたさ。

耳は柔らかいけれど、脆弱な柔らかさではない。

海の響きを受信したのは貝の耳。貝もクルミも堅い殻と、内部に耳のような迷宮を持っている。

顔から張り出している耳のやさしい曲線。顔の端っこを飾るわき役としての耳が、三木富雄の表現の主役になっている

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迷宮という言葉が飛び出してきたので、考えていると、右往左往して、台所のガス台の前でお湯を沸かしていたりする。

言葉も迷宮だ。
耳と同じ構造を持っている。

昨日から、花粉症の時期を実感していて、この、花粉なのかよくわからない春の時期に、言葉を探してる。そして、お湯を沸かしている。

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迷宮という言葉で、『迷宮幻想』という本を持っていることを思い出した。2階の本棚から、取り出してきてみる。

                *

遊びの百科全書ー❿
[迷宮幻想] 
岡本太郎編
Labyrinth
日本ブリタニカ  1980年12月1日発行

[迷宮幻想]は、全10巻あるうちの10番目の本。

1[言語遊戯] 高橋康也編
2[アイ・トリック] 種村秀弘編
3[レンズ・マジック] 広瀬英雄編
4[図形工房] 野口広編
5[暗号通信] 巖谷國士編
6[人形からくり] 立川昭二編
7[玩具館] 澁澤龍彦編
8[装置実験室] 寺山修司編
9[ミステリーナンバー] 高木茂男編
10[迷宮幻想] 岡本太郎編

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この本のテーマは
—「人間は人間であるときにだけ遊ぶ。遊んでいるときだけが人間なのだ」とある。1巻から10巻まで全部面白そうだけれど、10巻だけしかないのが、もの凄く残念。

巻頭に、[迷宮のなかを行く]という岡本太郎の力強い文章があって面白い。少し、抜き出してみる。

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最初の一行は、次の文章である。

私は生きている瞬間瞬間、迷宮のなかをくぐり抜けている思いだ。

この一行で、一気に、読者は迷宮のなかに引き込まれる。そして岡本太郎の心の動きに魅了される。

なぜわれわれは「迷宮」というテーマに惹かれるのか。それは、まさにわれわれが現実に、迷宮のなかに生き、耐えて、さまざまの壁にぶつかりながら、さまよっているからだ。
瞬間瞬間、進む道に疑問と不安を抱き、夢と現実がぶつかり合っている。強烈に生きようと決意すればするほど、迷宮はうずをまくのだ。
人生・即・迷宮
迷宮の本質的条件は、逆に全体を見渡すことが出来ないことにあるのだ。
一瞬先が絶対にわからない。
瞬間瞬間の消滅。

そして

人間はみな、それぞれラビリンスを創造しているのだ。数十億の人間がいるならば、数十億のラビリンスがある。
 あらためて言う。人生・即・迷宮とー。

と続いていく。
文章を読んでいると、すぐ、傍に、息をしている岡本太郎が現れてくる。

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次に、海野広の「螺旋と迷宮」という文章がある。耳の迷路というタイトルが付いている部分を抜き出してみる。

・・たとえば、迷宮を意味するラビリンスはまた内耳のことでもある。耳の中には迷路がかくされている。耳は外部から頭蓋の内部に入ってゆくトンネルである。外耳から鼓膜を抜けて中耳に入り、さらに内耳に達する。ここは入り組んだ構造をしていて,外側を骨迷路と言い、内側を膜迷路という。内耳には、かたつむりのからのような蝸牛管があり、その壁にらせん器官(マルチ器官)があって、ここで聴覚が生じる。三半規管は平衡感覚を支配している。つまり耳の中には迷路やラセンの道がたくさんあるのだ。


この本は、どこで買ったのだろう。ずーっと何年も、2階の寝室の本棚に入れたまま、位置も変えていない。それで、本の中にある迷宮の入り口は閉じられたままで、足を踏み入れられることもなかったのだ。迷宮に足を踏み入れるのは勇気が必要だ。入り口からちょっと覗いただけで、怖がりの私は本をそっと閉じて本棚にしまったのだ。

耳の中は迷路がかくされている。
〈耳はトンネルである〉という言葉がよく響く
解体新書ネオ(集英社文庫 永井明著 1998年)によると、蝸牛管は、そっくりそのままかたつむりの形状をしている。耳の中にかたつむりって、凄いなって思う。

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一時期、畑で見つける住人を失ったかたつむりの殻を、よく絵の題材に使っていた。それで、家にはかたつむりの白い抜け殻がお菓子の箱にいっぱいあった。

かたつむりも、やはり、うずを巻いている。
うずをまく迷宮そのものだ。

しかし、今見てみると、かたつむりの小さな油絵はうず巻く迷宮の反対側を描いている。迷宮に向き合うのが怖くて、入り口だけを描いてみたのだ。かたつむりは海の貝と違って、脆くてすぐ割れてしまう。

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耳の迷路に入り込んだ三木富雄は、アルミニウムの耳を150以上制作したとある。(芸術新潮の戦後美術ベストテン!(1993年・2月号))耳の迷宮性のトンネル入って、作家は150以上の耳と格闘したのだ

木と粘土と布と石膏で制作した土台にバラをコラージュした作品は、人の顔に見えて面白い。《耳》シリーズは、河原温の《浴室》シリーズの次に沢山票を集めている。


* 友人のYちゃんは油絵をずーっと描いている。テーマの一つがアンモナイトだ。やっぱりこれもうずを巻いている。Yちゃんも、うず巻くテーマに惹かれていたんだね。




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