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わたしにとってのセラピーとは


皆様、はじめまして。
セラピストをしている、あやと申します。

私は現在、
香川県にて、お家の隣に小さなサロンをつくり、この春から、
一日2組様限定でセラピー(施術)を提供させて頂いております。

実は最近、自分の中に蓄積した沈殿物が過多になり
アウトプットしないと、息苦しいというか…
健全ではないなと感じおりまして…(;'∀')
おもむろにnoteを書きはじめた次第です。
色々とお伝えしたいなぁと思う割に…
全然外に出していないからだと思います。

ここから少しずつ
はじめていきたいと思います。



セラピストは、
セラピーを受けて頂く方がいて
はじめて成り立つお仕事だと思っています。

セラピーを提供している人物はどんな人間なのか。
その人のセラピーを受けると
自分には一体どんな変化が期待できるのか。

自分の体を預ける側からすると
大切なお金と時間、
命を使い、わざわざそこへ行くのだから
前情報を事前に取得しておきたいと思うのは当然です。

百聞は一見に如かずだけれども
肌感覚で安心・安全を推し量った上で
その提供されるものを享受したい。

お客様なら誰しもそんな風に考えるし、
その材料を提供するのは
サービスを提供する側の、おもてなしだと
本当は思っているのです。
でもずっと発信できてなくて、
モヤモヤしておりました。

なので、今日は、
このお仕事をしている者として、根幹的な問いである、

『わたしにとってのセラピーとは』

という件について、とても抽象度の高い内容ですが
書いていきたいと思います。

(実際サロンワークをしていると、
主にお客様のお話を全力で聴かせて頂いたり、
お客様のお身体の状態などを注視しているため
そういうことを話す時間はほとんどないのです。)


まず、わたしにとってのセラピーとは

共鳴・共振・化学反応


だと思っています。


??(・・?


と思う方がほとんどだと思いますので、
このテーマを掘り下げて
自分の中から湧き出てきたものを徒然なるままに
書いていきます。

私の様に個人でひっそりやっているサロンに
来て頂くということは
まずは、私個人の何か、もしくは、
私個人がやっているサービスのどこか、
または、私が造り出した空間のどこか
に、お客様がビビビッ!と、共鳴した部分があるから
出会えるのだと感じています。
つまり…出会う前のお客様の無意識の情報収集段階で
私たちは既に共鳴している説★、あると思っているのです。
双方に共鳴する部分があったから
引き寄せ合い、
同じ時を過ごせるに至るのだと
私は感じております。

何かのきっかけで
私のSNSやHPに辿り着き、勇気を出してご予約頂き、
看板も何もないサロンに到着。
目線を交わし、挨拶を交わし、空間を共有し、手で触れ、触れられ、
それらの振動は同じ空間にいるだけでも、
また、手からの伝導でも、自ずと共振していくのです。音叉の様に。
それは文字通り、「共に」なので、双方に影響を及ぼすものです。

同じお客様であったとしても、
当たり前ですが、
一日として同じ時、
同じコンディションで会うことはなく、
セラピストとお客様との間には、
毎回違うナマモノの変化があり、
それを私は科学反応と呼んでおりますが、
そこには違った発見の連続が在ります。

セラピーはセラピストが一方的に提供しているものと
普通は考えられると思いますが、私自身は、
私自身もまた、
お客さまからダイレクトに影響を受けていると感じます。
双方が影響を与え合っているのです。

その化学反応は目に見えるものも、
目に見えないものもありますが、
その化学反応を気に入って下さった方が、
リピートして下さっているのだと思います。

私は、その一対一でのセラピーにおける
共鳴、共振、化学反応の一連の流れの
面白さに惹かれ、このお仕事をさせて頂いております。


また、わたしにとってのセラピーとは

誰かや、何かの施しを通じて、

自分一人では到達できない領域へ連れて行ってくれるもの

だとも、考えています。

ではその自分一人では到達できない領域とは
どんな領域のことなのでしょうか?

ここでは私の過去の体験を少しお話させて下さい。

私は新卒で、
大手証券会社に入社し、3年勤務した後、退職しました。
早朝から仕事に没頭し、すべてが初めてのことで、
刺激的で、そのお仕事に夢中でした。
会社関係者、お客様に恵まれ、
割と早い段階で数字という成果は積むことが出来ました。
お客様に良い提案が出来、喜んで頂けたら、とても嬉しかったです。
今振り返ってみると、
私は数字を積み、自分の収入が上がる事よりも、
自分が上げた数字で上司や同僚、お客様が喜んでくれるのが
純粋に嬉しくて仕事に邁進していました。

2年目の途中から、自分の資質に合った職業ではないと気づきました。

気づきましたが、なんとか無理をして続けていました。
無理をして続けている内に、
体や心を鎧で武装したかのように、
何も感じない様になっていきました。

そしてある時、朝起きるのもやっとで、
体が鉛の様に重たく、仕事が出来る様な状態ではなくなりました。
仕事を休みがちになりました。その頃妊娠が発覚したので、
妊娠を理由に退職しました。
本当は妊娠よりも前に身心が疲弊しきっていたのが事実です。

無理をし続けると、防衛本能からか、
体は不感症になることがあります。
感じないので更に無理を続ける。
そしてそれがある一定水準を超すと
自分ではコントロールの効かない状態になると体感した経験でした。

会社を退職後、暫くして、
私は感じない系だったところから、
めちゃくちゃ感じる系のヨガ業界へ、真逆に舵を切り、
その後セラピストの道へ進みます。

この感じるという、
人間に備わった機能の大切さを
身をもって味わったからこその、
真逆の舵取りだったのだと思います。

そんな私は、
サロンに来て下さるお客様が、
お仕事や家事・育児・介護・闘病などされている最中、
自分よりも周りの方を優先したり、
感情を押し込め感じないようにすることで、
自分を感じずに、
体や心に、無理に無理を重ねられている状態を、
とても敏感に察知します。

知らず知らず鎧を纏った、体や心、それは
当時の私の様に、自分一人では
なかなか気づくことが出来ないことなのかもしれません。

でも無意識に自らが発しているSOSをどこかで受信しているから、
そんなお客様に出会うことが出来ているのだと思います。

長くなりましたが、私のお伝えしたかった、
自分一人では到達できない領域とは、

セラピーによって、
自らが纏っていた心や体の鎧に気がづき、
その鎧を少しずつ脱いで
軽やかでしなやかな
本来のあなたの持っている
弾力のある心と体の状態へ戻っていくこと、それを指します。

そしてそのことは
人生を豊かに生きる上で、
とても大切なことだと私は思っています。


きっとセラピストの数だけ
その人のバックグラウンドに基づいた
セラピスト哲学があるでしょう。

私の内側には
今回書かせて頂いたような想いがありました。

必要な時にどうか
必要とするセラピストと巡り合えますように。

なんとかアウトプット出来ました(*´▽`*)

最後までお読み頂きありがとうございました(^^♪


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