どうして描きたかったのか
今年の春、息子が進学した大学の、連絡受信用メールを登録したところ社会人講座の絵画教室の案内が届いた。
我が子たちは、23歳、21歳、18歳になった。
いちばん下の息子が18歳成人となり、大学生となり大人に近づいたこのタイミングに、自分がずっと静かにあたためてきたものをアウトプットするきっかけがほしい。
そう思い、受講の申し込みをした。
あたためてきた思いは、自分の中に確かにあるけれど、今はまだ、言語化、視覚化できていない。
目に見える言葉やかたちになる手前の段階の、ふわふわとした、宙に浮くような思いを、ずっとくすぶらせながら抱えていた。
初回の講座で、久々に絵筆をにぎり、水彩絵の具を紙の上に走らせた時、何かを思い出した。
その後、日記をつけるように、毎日、絵を描いている。
描かなければ、ではなく、描きたくて、気づけば夢中で描いている。
そして、子ども達が5歳、3歳、1歳の時に描いた絵を思い出した。
捨ててしまった絵があった。
捨ててしまって、大切だと分かったことがあった。
あれから、17年が過ぎた。
途中、捨ててしまったその絵を、鉛筆で描き直した。
そしてもう一度、色を付けて、描きたいと思う日が来た。
絵画教室の途中に、指導してくださる先生が、
「どうしてこの絵を描きたかったのかな、と思い出しながら・・・」と、つぶやいた言葉が、私の耳に残っている。
描きたい、そう思う気持ちだけを羅針盤に、
「どうしてこの絵を描きたかったのかな・・・」
筆を持つ手を動かしながら、自分の中のまだ言葉にできていない思いを、少しずつアウトプットする。
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