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正しかったんだろうか

こんにちは、こんばんは。

留学していたときは四六時中コンサートを聴きに行っていました。主にプロのオーケストラを聴きに行って、世界の第一線で活躍する音楽家の音を毎晩のように浴びていました。

毎晩のように一緒にコンサートへ出かけてくれる友達なんて、わたしにはひとりもいませんでした。でもひとりで行くことが楽しくて、楽しくて、毎晩パリのまちを二本の足で練り歩きました。

日本に帰ってきもコンサートには行きます。聴いているのは主に地元のプロオーケストラのコンサート。そして面識のある方から誘われたコンサートに、片っ端から足を運んでいます。

パリで聴いていたコンサートと違う点は、出演されている方に挨拶をしなければいけない点です。

恥ずかしいので本当は逃げて帰りたいのですが、ぐっとこらえます。お礼と一言の感想を伝えるまでが、観客であるわたしのしごとです。

パリではあんなに頻繁にひとりでコンサートに通っていたのに、地元愛知県では「挨拶」が大きな壁となり、足がすくみます。

だから誰かと一緒に行くことがぐっと増えました。一緒に行ってくれる人がいるというのは、ありがたいことです。

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聴きに来てと声をかけられていないものにも足を運びました。今週は同世代の音楽家の演奏をたくさん聴きました。

同世代の方の演奏を聴くのは、また違った意味があります。同世代の人の演奏を聴く機会は、成長していない自分を実感する機会でもあります。

わたしはクラシックが専門、でした。ことあるごとに過去形で書いているのは、前線を目指すことをやめる決断をしたからです。大切にしてきた夢や目標を、投げ捨てるように手放しました。

同世代の人たちが夢や目標を叶えている姿を見て、わたしの決断は本当に正しかったんだろうか? と、疑問が生まれては消えていきます。

過去の自分は現在のわたしをどう見ているんでしょうか。わたしはわたしの決断が正しかったと胸を張れるように生きていかなければと思います。


応募していた公募の落選通知が来ました。悲しみもなにもなく、ただ静かに受け入れています。コンクールだったら泣きわめいていただろうところ、涙の一滴も落としていない自分に気が付きました。

対外評価で価値が決まるような世界から身を引いたことの功績かもしれません。そういえば年齢制限からも解放されました。あとはもう、ただ着々と寿命が迫るばかりです。

そしてなんてったって、今一番にやるべきことは目の前の山積みのしごとです。泣く暇もない。おやすみなさい。