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Reliability Trials エンデューロその本質 - No.245より

一台のモーターサイクルとともにスタートラインに立つ時、そのライダーは何を見るのか。レースではなく競走でもない。1913年からほとんどその姿を変えることなく続くこの競技に、人はどんな価値を見出すのか。

Text : Hisashi Haruki

003年フランス大会のスペシャルテスト。Future7Media


何に挑むのか

 エンデューロとは何か?
 これは弊誌が1998年に創刊してからずっと追い続けているテーマであり、またこの小さな出版や、関連して開催、運営している競技会等を通じて伝えようとしていることである。極めて簡略的に言うならば、エンデューロとは、モーターサイクルのすべてと向き合うことである。レース=競走とは一線を画したもので、より私的、個人的な活動ということができる。例えるなら登山のような行為に近い。あるいは一人乗りの船を操っての長い航海。操るのはモーターサイクルで、時に速度を競うものであるから競走然とした外観を持ってはいるが、根本には、一人の力で、確実に目的地にたどり着くことができるかどうか。困難な行程を確実に乗り切る力を持ち合わせているか、ということが試されている。
 世界中で多くのライダーに愛されているのは、エンデューロが、誰にとっても等しくチャレンジングな行為であるからだ。誰かに比べて速いとか遅いということは関係なく、個人としてモーターサイクルと、トレイルと、時間に向き合い、それに通用するかどうかに挑むことができる。そして個人としての結果、評価を得ることができる。
 登山に例えて想像してみてほしい。
 目標とするピークを定め、それに向けて鍛錬をし、準備をしていくだろう。最初は小さい山から始めるだろう。人に教わりながら、少しずつ経験を積み、自信もつけていくはずだ。山には、自然にはいろいろな条件があることをおぼえていく。風、雨、寒さ、暑さ。それをどのようにこなしていくか。道具、装備の知識も蓄積されていく。自分の身体条件、心理条件の変化。時間と体力との関係。どのようにすれば長く体力を維持しながら歩き続けられるかということも、少しずつ理解できるようになるのではないか。やがて、目標のピークに挑戦する時がくる。その時は、人それぞれで、誰かより早いか、遅いかということは、無論だが意識することすらないだろう。自分自身だけが関心事だ。
 エンデューロの場合は、目指すべきピークというものはない。モーターサイクルというトランスポーテーション(運搬)の道具の本来的な目的を十全に果たすことが、あえて言うならば、エンデューロにおける到達点である。無難(難なくということである)に、遅れることなく目的地に到達する。現実的に遭遇し得るあらゆる条件が、その行程には用意されていなければならない。モーターサイクルと、それに関連した装備と、それを操る人間の能力、それらすべてを試すためだ。
 ライダーは、待ち受ける困難に緊張しながら、一台のモーターサイクルを頼りに、それに挑む。ただ、ひとつ、自分はやり切ったという満足を得るために。


2022年フランス大会。Future7Media

何が試されるのか

 エンデューロの起源は、1913年にイギリスで初めて開催された6日間競技。インターナショナルシックスデイズリライアビリティトライアルにある。リライアビリティは「信頼度・信頼性」。トライアルというのは「試す」ということであるから、すなわち6日間で行われる信頼性試験、ということになる。何の信頼性かというと、まず黎明期にあったモーターサイクルそのもの。それに関係するイクイップメント、そしてモーターサイクルを操縦する人間。それらが一体となって、あらゆる条件を乗り越え、6日間を走り切ることができるかどうか。もともとは、国際的なモーターサイクル製造業組合による催しであり、モーターサイクルの性能向上に資することを目的としていた。この目的は、長く続いていき、1970年代までは、欧州メーカーのモーターサイクルの宣伝文句には「シックスデイズで20個のゴールドメダル獲得!」とか「チェコスロバキア大会で15台が完走!」とか、そんなふうにデカデカと書かれていたものだった。後のパリダカで、三菱が「パジェロ総合優勝!」とかCMしていたようなものだ。
 時代とともに、エンデューロは、自動車産業のマイナー分野に変わっていく。モーターサイクルの製造技術が向上し、一定の役割を終えたということも言える。が、信頼性試験、リライアビリティトライアルとしての機能は、そのままスポーツの仕組みとして引き継がれ、マイナーな一分野とはいいながら一定の支持を受け、堅持されていくことになる。
 モーターサイクル固有の性能を試し、ライダー個々の技量を試す仕組みは、世界中からやってきて、さまざまに異なるバックグラウンドをを持つ選手たちを一堂に会し、イコールコンディションで競技をさせるのに向いていた。
 基本的に、一台のモーターサイクルを6日間を通じて使用し、主要な部品の交換も許されない。整備や修理ができるのはライダー本人だけ。こうした競技の基本的なルールは、一介のアマチュアライダーと、プロフェッショナルなライダーを、この場に限ってはまったく同じ存在にしてしまう。どんなライダーも、ここでは世界中から集まるライダーと、まったく同じ条件で競うことができる。アマチュアにとって恩恵であると同時に、プロフェッショナルライダーは、恵まれた環境があるからではなく、自分自身の、一個のライダーとしての実力を証明する機会としてリスペクトされる舞台なのだ。
 2003年、ブラジルで行われた6日間競技に、現役引退を表明したばかりのモトクロスライダーが参加した。ISDEは初めてだったが、ライダーとしての実力が衰えないうちに、どうしてもやっておきたいこととして、この競技に挑戦したのだった。
 その名はステファン・エバーツ。
 モトクロス世界チャンピオンとしての揺るぎない地位、名声。だが、もうひとつだけ足りないものがあった。6日間競技での栄冠だ。
 父、ハリー・エバーツもまた、モトクロスライダーであると同時に、6日間競技のゴールドメダリストだった。偉大な父と並び、そして超えるために、ステファンは、ブラジルの6日間に挑んだ。
 結果は、見事なものだった。
 並み居るワールドエンデューロのトップライダーたちとの接戦だったが、得意のサンド路面で、1/100秒単位のアドバンテージを重ね、ゴールドメダル、そして総合優勝をつかんだ。
 彼は、エンデューロの世界でも、最も優れたライダーの一人としてマイルストーンを打ち込んだのである。
 しかし、栄光を見るのはこうしたトップライダーだけではない。この6日間競技のスタート台に立ち、フィニッシャーとしてメダルを受けるすべての者が、この長い6日間競技の歴史書の一行に連なることになる。


2018年の日高ツーデイズエンデューロ。Masanori Inagaki


普遍の価値

 黎明期には自動車産業の花形分野だったこともあるエンデューロが、元来の役割を半ば終えて、マイナーなスポーツの一分野となる。が、相も変わらず、百年以上も前と同じ姿を維持し続けているというのは、なんというか、トラクターの時代になったというのに、いつまでも農耕馬と一緒に畑を耕している爺さまのように、固陋で滑稽なものに見えるかもしれない。
 1950年代ぐらいのISDTの動画を検索した後、2022年のISDEフランス大会の映像を見てみたらどうだろう。未明のパルクフェルメからバイクを押し出すところ、スタート前に10分間だけ、くたびれたバイクを整備しているところ、そして冷え切ったエンジンをかけて街路にスタートしていくライダーたち。山道を走り、スペシャルテストを飛ばし、そして夕方になったらまた自ら工具をがちゃつかせてタイヤ交換。バイクが新しくなり、オイルドスタッフの雨合羽がカラフルなジャージにとって代わっているだけで、やっていることはほとんど変わっていない。
 この変わらなさは、いったいどういうことなのだろう。不変であることは普遍であることに通じる。モーターサイクルに乗る、というのはつまりこういうことではないのか。しっかりとした一台のモーターサイクル。携帯できる最小限の工具とスペアパーツ。大抵の故障に自分で対処でき、トラブルがあってもまたすぐに走り出せること。どんな条件でも乗りこなし前進し続けることができる操縦技術。速いに越した事はないが、無事であることには優先しない。毎日確実に帰ってきて、また翌日は元気に出発する。
 モーターサイクル乗りの基本が、ここでは試され、その機会がいつまでも変わらず存在している。ここにくれば、百年前にこれに挑んだ先人たちと同じ経験をして、同じ条件で自分を試すことができる。
 変わらないからこその価値が、ここにあるのだ。

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