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競技スポーツに取り組む価値 - 日高を運営する意味

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 今年も、日高ツーデイズエンデューロの準備が進められている。北海道の中央部、山間の小さな町を基点に、1周150km程度、一般道路から山岳路まで、いろいろなシチュエーションを含むコースを用意し、競技会の名称が示す通り、2日間に渡って、モーターサイクルの信頼性と選手個々の技量を試し合う耐久的な競技会だ。

1984年に初めて、苫小牧で開催された2日間競技が、1986年に開催地を日高町に移したのがこの大会の起源。当時、日本からただ一人、FIMインターナショナルシックスデイズエンデューロに参加を続けていた西山俊樹さんが、その6日間競技の素晴らしさを日本に紹介したいと始めたものである。その後、1988年には運営母体を地元の有志団体に移し、1999年まで大会は継続した。事務局は役場内の観光振興を担当する部署に置かれていた。当時、北海道には、各地に、エンデューロと呼ばれるイベントが開催されていて、多くが同様に行政主導で行われていた。

 しかし運営体制の疲弊や、予算不足、参加選手の減少などの理由が重なり、2000年以降大会は休止。ヒダカの無い数年間が続いた。同じ時期、北海道で開催されていたイベントもほとんどが消えていった。


 2004年、今度は、行政主導ではなく、なんとかまた秋の大会を復活させ継続したいと願う、本当にボランタリーな意志を持った(つまり有志だ)による実行委員会が立ちあがる。エンデューロが日高にやってきてから、これを中心になって牽引してきた神保一哉さん、それを引き継いだ永田邦彦さんをはじめとしたメンバーたち。手前のことで恐縮だが、ぼくもその中にいる。今、大会運営に携わっているのは、杉原正樹さん、大友光晴さんら、日頃から地域と密接な関わりを持つ行政の仕事に関わる人たち、そしてこの運営組織「日高モーターサイクリストクラブ」の特徴でもあるが、必ずしも、いわゆる地元の人間が中心というわけではなく、北海道や本州の広い地域にコアなメンバーがいる。それがたた一点の目的、日高でエンデューロを開催するために毎年集まり、準備に、後片付けに汗を流しているのである。

 ずいぶん以前に神保さんがこう言っていたことを時々思い出す。「競技会というのは、参加するのはもちろん面白い。でも、それを用意して運営するのはもっと面白い」。ぼくはその意味が理解できないでいた。学園祭をやるように、みんなで力を合わせて大会を準備して、成功させて旨い酒を飲むことが楽しいのか? そんなことではないだろう。

 競技スポーツとは何か。それに取り組む価値とは何か。それは自分なりの勝利を目指して努力し、ベストを尽くし、その過程に苦難、成功、挫折、喜び、いろいろな経験をし、人格を磨くことだ。アプローチは違うが、競技会を企図する側にもそれは当てはまる。高い目標に挑戦すれば、跳ね返されることも転げ落ちることもある。逃げ出すことができない大きな責任の中で、いろいろなことを学ぶことができる。それを「面白い」というと、誤解されてしまうかもしれないが、要するに神保さんはこういうことを言ったのではないだろうか。

 難しく、高い壁だからこそ、挑戦する価値がある。なぜなら、人は困難な経験からこそ学ぶからだ。それは選手も、主催者も変わらない。

 今、様々な難しさを感じている。ひとつには、一般に言えることだが、高齢化だ。ライダーも高齢化しているが、当然、スタッフも高齢化していく。こうした状況の中で、運営組織はどのように維持することができるのか。もうひとつ同じように難しいのは、環境問題だ。今、エンデューロと呼ばれている種類の遊びの象徴的なビジュアルは、とても現代社会的とは言えないもので、実際にはそうとまでは言えなくても「自然破壊」ととられて不思議ではない。特に日高の場合は、冒頭に書いたように、閉鎖環境で行われているものではないため、なおさらだ。
今後も、ぼくたちが思い描いているようないわゆるオフロード競技的な外観を持ったものとして存続していくことが正しいのかどうかということも含めて、岐路に立たされているといっていい。自然環境だけではなく、地域社会や生活環境も強く意識し、それらと一定の関わりを持って開催を続けていくというのは、公道を含んだ広いエリアに展開する競技会の宿命と言ってもいいだろう。だが、実は、それこそが面白く、取り組む価値のあるところなのだ。

 地域社会、人々と関りを持ち、一般社会の中でどうやったらモーターサイクルスポーツを維持し楽しんでいくことができるか。それを意識しないで済むのなら、それは簡単かもしれないが、生涯をかけて取り組むほどの価値は見いだせなかっただろうし、素晴らしい仲間たちと出会うこともなかったはずだ。

 困難な道でこそ、本当の友人に出会うということも知った。

日高は、この後も、必要な変化を続けながら存続していくだろう。

春木久史

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