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Looking Back 「シックスデイズで鍛えられたエンデューロ哲学の結晶」 - KTM400EXCR

この堅牢で汎用性に優れたモーターサイクルが初めて登場したのは1999年のエンデューロ世界選手権。翌2000年モデルから市販化され2008年モデルまで基本設計を同一として継続、排気量バリエーションの兄弟車とあわせて多くのライダーに愛されることになる。

市販車400EXCRの2005年モデル。車重117.2kgと、現在の350EXCに比較すると13kgも重いのだが、それでも当時は最軽量のエンデューロモデルだった。ちなみにLC4搭載の400EGSは約142kg


Text : Hisashi Haruki
Photos : Toshimitsu Sato, Mitterbauer.H, KTM images

LC4とフサベルの時代

2ストロークの分野においてはすでに成功を収めつつあったKTMにとって、初の自社開発による4ストロークエンジンは、1980年初頭にプロジェクトをスタートし、約5年かけて開発されたLC4ユニットである。それ以前は、空冷のロータックスエンジンをオリジナルのシャーシに搭載し自社製品としていた。KTMの新しいパワーユニットの名称はずばり「Liquid Cooled=液冷」。
 LC4を搭載したエンデューロバイクは、1987年の欧州選手権にヨヒム・ザウアーらのライディングによってデビュー。ザウアーは600ccクラスでタイトルを獲得。350ccクラスでも、別のライダーがタイトルを獲得する。KTMはすでに1984年と85年に、地元マッティグホーフェン出身の選手、ハインツ・キニガドナーとともにモトクロス世界選手権250ccクラスのタイトルを獲得しており、レーシングの世界で躍進を始めていた。ちなみに、キニガドナーはKTMの副社長に、ザウアーもその後KTMのプロダクトマネージャーになっている。
 エンデューロ競技の世界で活躍するLC4には、すぐに強力なライバルが登場することになる。スウェーデンの独立系企業、フサベル(Husaberg)だ。ハスクバーナで4ストロークエンジンの開発を担当し、自らライダーとしても活躍していたトーマス・グスタブソンが、カジバ(イタリア)によるハスクバーナ買収を期に独立しスタートアップしたブランドである。
 グスタブソンはハスクバーナ在籍中に、ジャッキー・マルテンスらがライディングしたTC610などの開発を担当した4ストロークエンジンの専門家であり、その画期的な軽量レーシングエンジンのアイディアを持っていた人材である。彼は、自ら立ち上げたフサベルで、さらに理想的なレーシング4ストロークエンジンを具現化し、ワールドレベルのモトクロス、エンデューロに革命をもたらし、そしてプロダクトとしても成功させることになる。
 フサベルがエンデューロ世界選手権で初めてタイトルを獲得したのは、1990年。スロバキアのヤロスラフ・カトリナーク、ケント・カールソン、ジミ・エリクソン(どちらもスウェーデン)らのライディングで古巣のハスクバーナ、そしてLCエンジンで武装したKTMと真っ向から勝負し、次々にそれを打ち破っていったのだ。
 ただし、LC4もやられてばかりはいない。イタリアの英雄マリオ・リナルディが400ccクラスで、500ccクラスではフィンランドのカリ・ティアイネン、また後にKTMエンデューロファクトリーチームの監督となるファビオ・ファリオーリがフサベルと戦い、タイトルを分け合うシーズンが続いた。

ンデューロ、モトクロスで活躍した期間は短かったが、ストリート、ラリーに活躍の場を移し真の名作として昇華したLC4エンジン



新エンジンの開発

フサベルが企業としてKTMの傘下に入ったのは1995年。その後しばらくは、ブランドとしての独立性を保ち、独自のマシン開発も続けられるが、やがて開発は停止され、KTMとの兄弟車のみがリリースされるようになり、2013年にピエラインダストリー(KTMの親会社)がBMWからハスクバーナブランドを買収したことで、フサベルは25年の歴史を閉じることになる。
 だがしかし、トーマス・グスタブソンによる、レーシング4ストロークエンジンの革命は、その血脈を断ったわけではない。フサベル買収後に開発が進んだKTMの新エンジンは、1999年、ジョバンニ・サラのライディングでエンデューロ世界選手権に登場。当時の400ccクラスでタイトルを獲得する。同時に、MY2000のプロダクションモデルとして、KTM400EXC、KTM520EXCが発売され、以後、2008年モデルまで改良を加えながら継続販売され、世界中のライダーに愛されるモデルとなった。今回はシリーズ中でもっとも評価の高い400ccモデルを中心に据え、その概観を振り返っている。
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 その前に、LC4ユニットがその後どうなったか、ということを話しておかなければならない。エンデューロのトップレベルで活躍したこのエンジンは、ほどなくフサベルの技術によって半ば競争力を失うことになり、相前後してそのフサベルの技術を吸収し、新たに自社開発したより軽量なレーシング4ストロークエンジンの登場で、存在価値を変化させることになる。重量も大きさもある一方、高出力、そして信頼性が高いことから、活躍の場をより長距離のラリーの世界に移していくことになった。LC4はやがてダカール18連覇というKTMのラリー活動の核、あるいはシンボルとなり、同時に、ストリート、アドベンチャーバイクのセグメントでの成功を担う存在となっていった。LC4のヒストリーについては、また別の機会にまとめることにする。

ユハ・サルミネンは同型の525EXCRでも世界タイトルを獲得している


6日間のフィロソフィー

エンデューロコンペティションの世界でLC4エンジンを過去のものにしたレーシング4ストロークは、当初400と520というバリエーションでデビューするが、最終的には、250、350、400、450、525というラインナップに拡大(525は実際には510.4cc)。スーパーモト用のクレートエンジン(エンジン単体販売)では570ccというバージョンも存在した。軽量で高出力なだけではなく、キャパシティに余裕があり、堅牢。水冷OHCエンジンは、ギアポジションセンサーを備えるケイヒンFCRキャブレターとの組み合わせで、高いライダビリティを備えていた。オイルフィルターを2つ内蔵し、長時間のメインナンスサイクルを許容する。ISDEぐらいの競技時間(120~1600km)はもちろん、オイル交換だけで1万キロのラリーを走り切ることができる耐久性。またこの2000年モデルからのKTMのエンデューロモデルは、徹底的に整備性の高さを追求するようになり、乗り手に与えるストレスを軽減した。車体全体に使用しているボルトのドライブサイズを整理し、掌に乗る大きさの純正ツールキットでほとんどの整備ができるようになった。フロントとリアのアクスルも同サイズにし、ISDEライダーは工具を持ち替えることなく前後アクスルを回すことができるようになった。
 前後のWPサスペンションもプロダクトモデルとして一級品で、レースに使用することを前提としても、リバルビングなどのチューンナップを必要とするライダーは少なかったはずだ。これは現在も、他の多くのメーカーとの大きな差になっている。
 速さ、ライダビリティ、信頼性、整備性の高さ、長距離を走るための堅牢さ。性能評価のスペクトラムに表すと、極めて真円に近い曲線となるはずだ。

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