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SIXDAYS ― 孤高の6日間競技を知る - No.237より

世界中のライダーが生涯に一度はと憧れるFIMインターナショナルシックスデイズエンデューロ。1913年から現在まで、ほぼその形を変えずに存在してきた6日間競技とは何か。

Text / Hisashi Haruki

1周250ないし300kmを1日に1周だけという現在主流のフォーマットが定着したのはこのグラナダ大会からだ


2022年はフランスで開催

 FIM=国際モーターサイクリズム連盟は、2022年の第96回 FIMインターナショナルシックスデイズエンデューロ(ISDE)の開催地をフランスに決定したことを発表した。
 ISDEは、モトクロスオブネイションズ、トライアルデナシオンと同じFIM国際格式のクラシックイベントで、毎年30〜40ヶ国が参加。モトクロス、トライアルと同様にエンデューロも年間を通じた世界選手権が開催されているが、世界選手権は個人タイトルを競い、ISDEは国別対抗の競技であるという点でも、モトクロス、トライアルと共通した構図を持っている。しかし、ISDEの歴史は第一次世界大戦前の1913年にまで遡るもので、競技が6日間にも及ぶこともあって、世界選手権とは比較できない、独自の価値をもってリスペクトされる存在でもある。日本からのISDE代表(ワールドトロフィ)チーム出場は、2006年のニュージーランドが最初で、以来、断続的に行われ、2019年ポルトガル大会には、渡辺学、前橋孝洋、釘村忠、馬場大貴の4名がメンバーとなって参加。釘村忠が日本人として初めてのゴールドメダルを獲得するなどして活躍した。



ハイウェイの競技

 ISDEは、製造されるモーターサイクルの品質・性能と、ライダーの技量の向上を目的として始められたものと考えられる。現在でもその目的は変わっていないが、70〜80年代前半までは、6日間をノートラブルで走ることができるマシンばかりではなく、6日間に渡ってマシンを壊さず、性能を維持して走り続けるという基本的なことが今よりもずっと重要なスキルと考えられていた。また、現在では、オフロード競技然として見えるイベントだが、ISDEはかつてオフロードレースだったことは一度もない。マシンの性能や信頼性、ライダーの技量を試すという目的のために、結果としてオフロード的な場所を多く走っているというのが正しい捉え方だ。ISDEを走るモーターサイクルは、タイヤから排気音量に至るまですべてストリートリーガル(公道仕様)。ナンバー登録もされているし必要な保険に入っているかどうかも、すべてチェックされる。もちろん免許だって必要だし、街中のルートでは、スピード違反で警察のご厄介になるライダーだっている。完全なオンロード(道路上)での競技という理解が必要だ。


アンダルシアの古都、グラナダで開催された2000年大会。600名を超えるエントリーを集めた


街を出て山野を駆け
そして再び街に戻る

 ISDEでは1日300kmほどのコースが用意されるのが普通だ。かつては、1周150kmを1日に2周というのが標準的なサイズだったが、現在は、250〜300kmの距離を1日に1周ということが多くなった。いくつかの理由が考えられるが、もっとも大きな理由は、1周だけというフォーマットのほうが参加人数を増やせるということだ。1周150km程度だと、350名ぐらいが限度だったが、1周の場合は600〜700名を受け入れることができる。ISDEの参加希望者は常に多い。多くの選手を受け入れることは、運営費用の助けになるし、地元開催地にとっては観光資源としての価値を高めることにもつながる。1日1周というフォーマットが始まったのは、2000年のグラナダ大会から。風光明媚で歴史的遺産も多いアンダルシア地方で開催されたこの大会の注目度は高く、例年の倍近い、600名以上の選手が6日間を走ることになった。
 市街の中心部に設置されたパルクフェルメを出発。早朝の街路を抜け、国道を走って田舎道へ。田野を駆け、山の中へ。そして再び人里に下りてきて、夕方のパルクフェルメに戻る。タイム計測区間であるスペシャルテストは、広い牧草地だったり、登山道のようなシングルトラックだったり、時にモトクロスコース、舗装のサーキットだったり。およそ考えられるあらゆるシチュエーションの中を走り抜ける。基本はチェックポイントを設定時間通りに走りつないでいくことだが、速さを競う区間"スペシャルテスト"でのタイム差が、最終的には順位につながっていく。
 過酷なコースを長時間に渡って確実に走破しつつ、スペシャルテストでの瞬発力を競うのだ。チェックポイント間のタイム設定は、それほどきつくない。どんなにコースが難しくても、トップの選手で5〜15分ほどの余裕があり、日本の上位選手でもまず数分の余裕が残るのが普通だ。スペシャルテストは1/100秒単位でのタイムアタックだ。120%をフルに叩きつけて5〜10kmの区間を駆け抜ける。ここでのスピードは半端じゃない。モトクロス世界選手権なみのタイムを出すライダーが上位に100名ほどいると考えれば、まずわかりやすいだろう。
 ゴールドメダルを獲得した釘村忠を引き合いに出そう。釘村が11分近くで走るテストを、トップの選手は10分で走り切ってしまう。日本のトップライダーとそれだけの差がまだ存在する。
 チェックポイントでの遅れ、スペシャルテストでのタイムの合計が、各ライダーの成績になる。成績に応じて、ゴールドメダル(各クラストップのタイムから110%以内)、シルバーメダル(125%以内)、そして残りの完走者全員にブロンズメダルが与えられる。これがISDEの個人賞だ。貨幣による賞典や、副賞が無いのが、このクラシックイベントの性質を良く現している。ただ純粋にスポーツとしての価値を追い求めて戦うのである。


国代表は4名構成

 現在、ワールドトロフィチームは、4名のライダーで構成される。3クラス、すべての排気量クラスにエントリーしなければならない。排気量クラスは、Enduro-1、Enduro-2、Enduro-3に分かれているが、例えば、Enduro-1に2名、Enduro-2に1名、Enduro-3に1名という構成になる。毎日、4名のうちの最も成績の悪いライダーを除外した3名のポイントが成績の対象になる。6日間の合計ポイントがもっとも少ないチームが、ワールドトロフィを獲得するというシステムだ。
 4名のうち、1名だけならリタイアしても、成績に大きく影響してこない。だから、最初から3名だけでエントリーすることも可能だ。どんなに速いライダーを揃えたチームでも、2名がリタイアすると、成績はガタ落ちになってしまう。だから、ワールドトロフィの獲得は非常に難しい。最強国、と言われる国が、ちょっとしたつまづきで不振に陥ったりする。一人ひとりのライダーが、速く、しかも確実に6日間の長丁場を戦い抜かなければならない。そこには偶然性の介在する余地がない。


国道脇に設けられたタイムチェック前のワーキングエリア(いわゆるピット)。時には国道を30kmも移動することがある。エンデューロはハイウェイ(公道)で行われる競技である

2016年にダウンサイズされた

 ワールドトロフィチームの構成は、実は2015年のスロバキア大会まで6名とされていた。1913年の第一回大会から一貫していた6名構成が、4名に変更された理由は、各国のチーム運営にかかる負担低減である。次第にワールドトロフィチームクラスへの参加国が減少し、トロフィ争奪戦への注目度が下がってきている。その打開策だ。
 6名も実力のある選手を揃えることができる国は限られているが、4名ならなんとか、という国もある。6名よりも4名のほうが遠征費用も格段に安くつく。なにしろ最低でも2週間の滞在である。北米、中米、南米、オセアニア、日本と、欧州外からの参加国が次第に力をつけてくることは、国際イベントとして重要だ。
 近年のエンデューロ選手のプロフェッショナル化も無関係ではない。各国の実力ある選手は、FIMエンデューロ世界選手権=ENDURO GPにフルシーズンで参加していることが多く、どうしてもそれを優先させることになる。例えば、ライダーにはISDEに参戦する意思があっても、チーム(メーカー)がそれを許さないということも多い。
 ワールドトロフィチームのダウンサイズは今のところ成功しているようだ。2016年スペイン大会で、4名チームのUSAが、ISDE史上初のワールドトロフィを獲得したことは、象徴的な出来事だった。長い間、有力チームを構成できなかった英国が、ブラッド・フリーマン、スティーブ・ホルコムを含めたドリームチームで2019年ポルトガル大会にエントリーしたのもダウンサイズの結果と言える。同ポルトガル大会にチームジャパンが参加できたのも、4名チームだったからだ。


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