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No.229より「禅の純化プロセスと 六日間競技の精神性について」

Text : Hisashi Haruki
Photo : Future7Media ISDE Portugal 2019


自粛が守られる信心深い社会

 あなたの信仰(宗教)は何か。
 そう多くはないが、外国の人と話をするとそういう話題になることもある。読者の皆さんにも多いと思うが、ぼくにはこれといった信仰がなく、漫然と、仏教式の葬儀や、キリスト教式の結婚式のような儀式を受け容れている。あくまでも形式的なものだということが常識として理解されているから、同じ日本人や日本に長く暮らしている人には「無宗教だよ」と答えも誤解されることはない。ただ、これは外国人にはすぐには通用しないので(つまり説明が必要だということ)、「仏教である」と答えることになる。半ば便宜的なことではあるけれど、しかしあながち嘘というわけでもない。ぼくは、例えば、手塚治虫の漫画が描いているような、物語の中のブッダやイエス・キリストの愛や寛容に共感しているし、彼らの言う愛に包まれているという実感も持っている。信仰に近いのかもしれないが、まったく宗教的ではない。愛や寛容という心の在り方を、ブッダやイエス・キリストという「人格」に代弁させているというのが適当かもしれない。自分でそれを語ったらおかしいでしょう? ぼくを日本人の代表にすることはできないけれど、自ら無宗教だと自覚している多くの人は、しかし、諸外国の人たちに比べて「信心が足りない罰当たり」な人間だとも思っていないはずだ。むしろ日本人の多くは信心深い。ただそのフォーカスが多方向に向いていて見えにくいだけだ。「お天道様は見ている」という言葉はそれを象徴している。いいこともわるいこともちゃんとお天道様という神が見ていることを「知っている」のである。これを説明するのは難しいが、それを抜きにしては、例えば、落としたサイフが、中身もかわらず高確率に短時間で手元に戻ってくるという事実を説明することはできない。また、罰則もないのに外出自粛が大半の人に守られるこの社会を理解することはできない。

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