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勝利を確信したのはいつだったのか - ホンダ8年目の挑戦、その裏側。HRCラリーチーム代表ロングインタビュー

いつでも勝てる。は、いつまで負け続けるのか、という重圧に変わった。2013年の南米ダカール初挑戦から苦戦が続く。ダカールでは、どんなことでも起きる可能性がある。ホンダは、そのすべてを経験したのかもしれない。


No.227より
勝利までの時間 - ダカール・宗次アラビア
Interview Taichi Honda


インタビュー・本田太一 HRCチーム代表
Text : Hisashi Haruki
Photo : Honda Racing

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王者の城

アフリカ時代。ホンダがファクトリーチームとしてパリダカに参戦していたのは、1981年から1989年の9年間に過ぎない。1986年にアフリカツインの原型とも呼ばれるNXRで優勝して以降4連覇を遂げるが、そこで活動を停止し、ホンダはクロスカントリーラリーの世界から撤退した。その後、ラリーはジャン・クロード・オリビエ率いるヤマハの時代となり、1991年から1998年の間にステファン・ペテランセル、エディ・オリオリのライディングで7勝を挙げることになる。続いてリシャール・サンク、シリル・デプレらのBMWが活躍する時代が来るのだが、KTMの参戦も始まっていた。指揮をを取るのはハインツ・キニガドナー。

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