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No.230より、インタビュー菅原義正「ティジカジャへ再び」

長年に渡るダカールラリーへの挑戦に一区切りをつけたレジェンドは、再びアフリカのラリーに照準を定めた。モータースポーツとは何か、ラリーとは何か。その飽くなき挑戦の先に見るものとは。

Text & Photos : Hisashi Haruki


共に初出場だった増田まみと

共に初出場だった増田まみと


ティエリーの足跡を追う


-ダカールが南米に移転したのが2009年。同時に、菅原さんもアフリカで開催されるラリーから離れることになりました。アフリカエコレースで久しぶりにサハラを走ることになったわけですが、期待していたものはそこにありましたか?

菅原 : クロスカントリーラリーは、文字通り、いくつも国境を越えて走り、その中でいろいろな文化を肌で感じ、学ぶことに魅力があると思ってきましたし、今でもそう思っています。だから南米でもアルゼンチン、チリ、ペルーというように国をまたぐようにしてラリーが行われてきたんですね。それがいろいろな事情で最後にはペルー一国での開催、今年もダカールはサウジアラビアだけを走るコースで開催されました。レースとしては素晴らしい内容だったと思いますが、ぼくが考えるラリーとは少し違ってきました。実は、アフリカエコレースはもう12回も開催されているんですが、ぼく自身はプロ選手としてダカールにのめりこんでいましたから、その存在もほとんど知らなかったんです。でも、実は、ジャンルイ・シュレッサーやルネ・メッジといった、かつての戦友たちが、自分たちが愛してきたアフリカのラリーを今でもやっている。ぼくのラリーの原点ともいえる、かつてのパリダカをそのまま再現したようなラリーだと聞いて、すぐに出場を決めたんです。期待通りでしたよ。特に、今年(2020年)のルートは、パリダカの創始者であるティエリー・サビーヌが切り拓いたティジカジャのルートを走るって聞いていましたから、本当に楽しみでした。

-ティジカジャは、今年のアフリカエコレースで最大の難所になっていたところですね。

菅原 : ネマ~ティジカジャ~ティシットというルートは、ティエリー・サビーヌたちがパリダカのルート設定のためにはじめて走破した道なき道で、これは今でもティエリーが開拓したルートとしてミシュランの地図に出ているんです。ぼくがここをはじめて走ったのは1985年、2輪で2年続けてリタイアした後に、初めてパジェロで、夏木陽介さんと出た時です。この時は完走できなかったけど、翌年、プライベーターとして出場した時に走り切りました。パリダカ4度目の挑戦でした。

 今年はみんな、ティジカジャが大変だったと言ってましたけど、以前は、あれが普通だったんですよ。今みたいにいいクルマじゃないから、もっと大変だった。それをみんなでがんばって走り抜いた。昔、ティジカジャにはガソリンスタンドが一軒しかなくて、参加者全員のクルマがそこに、何百台も並んで給油してね。

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