日々に感覚を
感覚的な日々を送れているだろうかと自らに問い、感覚を取り戻す経験があった。それは爆発的なエネルギーを持って身体を駆け巡ったので書いてみる。
大人が社会に生きていると感覚的になることは難しい。イヤなものをイヤと言って好きなことに正直になるって簡単ではないから。忙しくて心を失くしてる日々は内面を見つめる時間がない。
日々に感覚をちゃんと持ち込みたい。常に20%くらい緩く疑われる目線を感じながら過ごす日々は辛くって苦しい。それも感覚を麻痺させているから何も感じてない素振りをするが身体は覚えている。
感覚を取り戻す方法は各々で見つけて感覚的にになれない日々を壊してほしい。わからなかったら教えます。
人間にはバイオリズムがあって躁鬱であることが正常だと思っている。月の満ち欠け、季節、気温、風、入ってくるニュース、人から言われた言葉といった外的要因や、そうでなくても体調や気分、生理的な内的感覚で全く違う人間になる。
それが当然でそれで良い。それで良くてそれをどう社会と折り合いをつけるか。常に考えてる。難しいけどできる。辛いけどできる。
感覚を失ったら日々は辛いから。
自らに正直に生きていきましょう。
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