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身売りしよん「韮を食む。」

 月の中頃から末までに財布や口座に一万円以上残っている事など、この侘しい山奥は盆地の松本に一人暮らしを始めてから一度も無い。
そういう時は決まって家の近くの河原を歩くことになる。ニラを探す。

 ニラは良い。強い香りと確かな歯応えは毎食を腹三分で済まさざるを得ない月末のすきっ腹に嬉しく、雑草の出自であるからして一時間も歩けばコンビニ袋いっぱいに収集できる。
フルグラで変に膨らんだ胃袋に白米とニラの炒めたのを詰め込めば、歯に挟まった強靭な繊維を舌先でこそぐ時になんとなく「よく食べた」という雰囲気を確かに感じる事ができ、それが何より食事という体験をより鮮明に、生命を維持するための活動だと認識するだろう。
「少なくとも坊主よりは豊かな食事をしている筈だ。」

 現代人は得てして五葷を好む。丼ものには生姜と葱を盛り、ラーメンには大蒜を、カレーライスに辣韮を、炒め物には玉葱と韮を盛る。取るに足らない原価に関わらず、いかにもこれこそ「豪勢な」食事であるかのように張りぼての贅沢を演出してくれる五つの邪な食材は、現代社会の「外食」や「大盛り」、「飽食」のアイコンとして君臨している。

 甘くコーティングされた大麦だのドライフルーツだのが胃腸から食道づたいに口腔へ送り込んでくる貧相な砂糖の匂いを掻き消すのに、ニラの香りと空虚なレッテルはうまく作用する。事実、消化器官の内容物の8割がフルグラであってもだ。 

 寺の坊主は腹いっぱいに飯を食わず、肉も食わなければ五葷も勿論だと聞く。だと思えば臭いものを口にして現代社会の時流に乗っかることの出来る私の状況の方が遥かに恵まれていて、寺の坊主よりも文化的な生活が出来ていると言えるのではなかろうか、と自分を納得させてみる。

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