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エッセイ 483.「異人たち」と「異人たちとの夏」(5)人物


登場人物について感想です。

母、秋吉久美子:ほとんどの場面、良かったけど、意味のないところでの笑いと、笑い方がちょっと下手なのが見るたびに気になります。

以下は秋吉久美子のせいではないことですが、

・アパートの外階段の真ん中あたりに座って、手持ち花火をする。
NGすぎます。
下町育ちで、花火やりまくっていた私からするとありえない。
こんなことやったら、親にすごく怒られる。
木造家屋が密集していますから。

・高いところの上の物を取ろうとして、息子を四つん這いにさせて、その背中の上に上がる。
ごめん、踏み台のない家はない。
私が育った昔の下町の長屋は、収納が少ないので、よく鴨居の上に棚が付いていました。一段の踏み台に乗って物を取る高さなので、そういう踏み台は必ずあったのでした。
息子の背という、ぐにゃぐにゃな物に両足で乗り、そして、バランスを崩して落下する母。母を抱き起こし、肩を抱くような姿勢になる息子。ランニングの息子とノースリワンピの母が密着し、頬もくっつかぬばかり。普通、ドッタン、と倒れたら、お互いに素早く起き上がり、ごめーん、だいじょうぶ? どこかぶつけなかった? となるように思うのだけれど、二人は確実に2秒間は凝固していました。
息子はドギマギする。
いや息子、そこでドギマギしない!
母は、「ご飯にしよっか」だったかな、あっさりと立ち上がりますが。

上、落下直後・下2枚、普段からしなだれかかりがちな母
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ところでこの母は(父もだけど)すぐ息子に、
ワイシャツもズボンも脱いじゃななさいと言います。
脱げば息子も、父と同じ、ランニングとアンダーウェアのみ。
父はステテコであるが、息子はボクサーショーツである。
その息子の、汗ばんだ首や肩などを、母が手拭いで拭く。
母よ、自分で拭かせなさい。
彼女にとっては息子は12歳男子。
そして今は立派な四十男。
母が生きていても、息子を拭き拭きは やらなそうだ。
この辺は何回見てもむずむずします。
でも、すっきりとした夏のワンピース姿は綺麗。

父、鶴太郎:鶴太郎が芸術家になってしまう前の出演でしょうか。
この映画の中では、すっきりとんがっていてよかったです。
べらんめえ口調も悪くない。
おっちょこちょいで、交通事故に遭いやすそうなお父さん。
大人の妻を乗せて自転車の二人乗りはいかんかったでしょう。
扇子を顔の前に傾ける仕草が粋。
家族を大事にしていて、ちゃらんぽらんだけど憎めない人です。
早世が惜しまれます。

原田秀雄:風間杜夫。
イギリス映画「異人たち」は、子供返りしたような主人公が、12歳のときのパジャマを着て、眠れないからって両親のベッドに、入れてくれとやってくる場面があります。
さすがこれは、にちょっと気持ち悪かった。
あのパジャマも、画面ではきつそうなだけであったが、大人が着られるわけはないと思ってしまいました。
それに、最初の頃、自分の部屋のクローゼットにかかった子供の時の服を見て、
「さすがに着られないな」
「そうね。父さんのを着なさい」
的な会話があったので、子供パジャマはちょっと矛盾していたかも。

「異人たち」に比べると、主人公が子供返りして、それで受け入れられるのは、日本人の風間が、つるっとしているから。

私、「異人たち」のラブシーンは、二人のお肌が大人すぎて、ちょっと集中できませんでした。リアリティがあって良かったのですが、リアルすぎて、というところもありました。

一方の風間杜夫の原田。
四十男の今と、12歳に戻ったようなときの気持ちの変化は、
若々しい声と大人の声の使い分けで、非常にうまく表現されていました。
両親と別れを告げるときは、ちゃんと敬語になっている。
素晴らしいな風間杜夫。

声といえば、原田幻の地下鉄の新橋駅で案内の一行にはぐれ、
心細くなって、
「みんな、どこ?」
と呼ぶあの声。
それがそのまま、12歳で両親を亡くし、ひとりぼっちになった子供の原田が、
思わず心の中で誰かを呼んでいたかもしれない、その声と重なります。

続きます。


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