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日本語教師日記137.私が覚えている

台所に黒板が掛けてありまして

スイートタイチリソース
マヨ
ケチャ
青20L

などと書いてあります。

宮沢賢治の黒板の、

下ノ畑ニ居リマス

のような叙情は全くなくて、濡れた手で欠けたチョークを掴んで、
慌てて書いた文字ばかりです。
青20Lというのは、火曜日だけ出せるリサイクルゴミの袋のことです。

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そういえば私は今、ディスプレーのついたアレクサ内蔵のあれ、
・・を買おうと思っているのですが(名前ワスレタ)、
それは台所では手が濡れていたり、べたべたしているけれども、
音楽を聴きたかったり、レシピを見たりしたいから。
今のところ何代も前の古いiPadを、スタンドにくっつけて使ってはいますが、
足を引っ掛けて倒しそうになったり、どうも使い勝手はよくありません。
買いたい気はするけれど、使いこなせるのかあれを・・
なんと話しかけていいか、頼んだら何をやってくれるのか、
今のところ想像もつきませんが、一応、興味を持って迷っているところです。

ま、とりあえず今は、いつもように黒板を使っています。
忘備録や買い物メモ、to do リスト。
思い出したり、思いついたら、すぐ書かないと忘れてしまいます。
通るたびに目に入るところにかけてありますので、

あっそうだった青20L・・
あっそうだったあの請求書・・

と、結構ベーシックに便利なのです。

さて、その黒板の上端に、かすれてきたら書き直したり、
書き足している4つの文字があります。

ベサニー

と書いてあります。

ベサニー。
メタリックなまでにつやのある、光る赤毛で、
ミルクのように真っ白な肌に、そばかすが少し。
長い髪を、後ろで三つ編みにしていたベサニー。

素敵な女性でした。

どうしても不思議なのですが、8年ぐらい前のこと。
台所にいたら急に、この人の名前がぽっかり頭に浮かんだんです。
全く思い出しことはなかったのに。

ベサニーは20年も昔にイギリスに帰って、当時はメールなどなかったので、
数年クリスマスカードのやり取りをしたあとは、自然疎遠になりました。
私はそれは自然だと思うし、いいと思っています。

それでもベサニーには、もしかしたら会うことはあるかもしれないけれど、
アランには私がどんなに長く生きていても、会うことはできません。
ベサニーのご主人だったアラン・ウォーカーは、
日本での駐在員生活が終わってイギリスに帰国した後、
ほどなく病気で旅立ってしまったからです。

本当にお似合いのカップルでした。
二人とも大学で日本語を学び、本当に流暢で、
なんで日本語を習う必要があるのかしらと思ってしまうぐらいでした。

アランはとても身だしなみがよくて、
髭剃り跡が素敵に目立つほどの色白でした。
私がイギリスの人に抱いているイメージは、
地味なシャツに地味なスーツというものでしたが、
アランはピンクに青いピンストライプのシャツとか、
とにかく明るい色の服装が似合っていて、印象的でした。

二人が日本にいて、私から日本語を習ってくれていた時期はほんの1年でした。
二人の顔も全体的な雰囲気、声などはよく覚えていますが、
どんなことを話したかまでは、覚えていません。

アランが亡くなったと、同じ会社の人に聞いた時は、衝撃でした。

あれから幾星霜です。
なんで、急にベサニーの名前を思い出したのか考えてみました。

大学で出会い、日本語を学び、希望して日本に転勤してきたアランと、
同じように日本語が上手で、若く美しいベサニー。
日本支店勤務と言われた時は、とても嬉しかったでしょう。

この二人がたった1年弱、日本に住んで、日比谷シティの中にあるビルの上階の
あのNatWestバンクの部屋で私のレッスンを受けたり、
たぶん、日比谷公園を散歩したり、南部亭でランチしたり。
休暇には中国や韓国などの近い外国に遊びに行っていた。
あの時期の二人、日本にいたときの二人を知っていて、
ほんの少しでも覚えている人って、今は私を含めて、そういません。
だから私は、二人を忘れないことにしました。

黒板にベサニーと書いたあとは、アランとベサニーのことは、
なんとなく、たまーにですけれど、思い出します。

この先も、私が覚えている。

そういうふうに思う人たちの中に、アランとベサニーがいるのです。

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