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エッセイ480.「異人たち」と「異人たちとの夏」(2)2024年日本公開イギリス映画「異人たち」は・・

続きです。

今回 公開日に早速観てきたイギリス映画の「異人たち」。
面白かったです。
これは大林宣彦監督・山田太一原作の「異人たちとの夏」のリメイクということで、安心して観ることができました。
どうなるかわかっているので。
一緒に映画館で座っているみなさんの中で、
1988年公開のこの日本映画を観たことがある人の方がおそらく少ないと思うので、最後の方になって、大多数の人が、

ええええ!?
うっそ!

となってしまうわけですが、私からすると、あの衝撃を、
初めて味わえる人たちが羨ましかったです。
あれは強烈ですからねぇ〜🤭

ストーリーはほぼ原作を辿って付かず離れず、結末も同じですが、
大きく違うのは主人公がゲイであるところですね。

レビューには、「そこが素晴らしい」と大いに称賛しているものがすごく多いのですが、いまさらそれが「新規」だと思って監督は作ってないんじゃないかと私は思いました。
もうその先、行ってまっせ〜、と感じました。

不思議だったのは、結構階数のあるマンションに、
住んでいるのが主人公と、あとでその恋人になる男だけであること。

取り壊し間近の団地という感じではないし、
ロンドンの住宅事情はNYとか東京とかシドニー並みに酷くて、
なかなか今からロンドンで暮らし始めるのは大変だそうです。
そこへ、住人がたった二人の複合等のマンション?
ちょっとこの設定がシュールすぎなので、
(もしや、最初から最後まで、全てが主人公の夢か幻だったのでは)
と、最初から思ってしまいました。

ところが、実はあとから見直してみた「異人たちとの夏」では、
「知ってる? 夜になるとこのマンション、私たちだけなのよ」
・・のわけが語られます。都心のオフィスユースのマンションに、たまたま済んでいるのが二人というわけです。イギリス版はこの説明がされないので、なんとなく不思議な宙ぶらりんな気持ちになる・・これはもしかすると意図的なのかしら。

さて、日本版と同様に、酔っ払った無精髭の男が夜に訪ねてくる。
主人公は冷たく追い返す。
そこも「異人たちとの夏」と同じ、安定の発端です。

こっちの映画では、主人公が偶然に、演芸場帰りの父親と会うのではなく、
彼は自分から電車に乗って郊外の元・実家を訪ねるのであります。

この男、本当に無口なので、観ていてもよく内心がわかりません。
訪ねてこられた(もう死んでいる)両親も、
いまいち息子が何を言いたいか当てられず?
戸惑っているようです。
死者がなんでもお見通しなのではなく、言葉を通じて少しずつお互いを理解していくのが、一番日本版と違うところだと思いました。

二つの映画で決定的に違うのは、風間杜夫の方は、
両親が12歳で非業の死を遂げた時から、瑞々しい心に鍵をかけ、
感情を動かさないようにして、自分を守り、一度も泣いたことがないという人。
両親の死が、その性格形成の主な部分を担っているようです。

一方の「異人たち」の主人公の方は、それだけではなく、子供の頃からゲイで女性っぽかったことをいじめられ、親たちには言えず、抑圧的な人生を送ってきています。親たちも、子供の苦境を見て見ぬふりをしていたり、育てにくい子供という認識で、苛立っていたことも、話に出して、隠そうとしません。
ここが、「言わず語らず文化」の日本と、「言葉にしなければ無いのと同じ文化」のイギリスとの違いかなと感じました。(私の夫はイギリスからできたニュージーランドの出身なので、そういうところがあります。イギリスの人はさらに、日本人と同じような抑圧の中に生きている部分もあると感じてもいます)

なぜか今、両親に出会い直し、両親に自分の性的嗜好をカミングアウトをするわけですが、両親は、2023年現在で40歳(推定)の息子が、12歳の時に亡くなったので、2023年引く28年=死んだのがだいたい、1995年。

会話の中で、「僕たちのころは、愛することが死に直結してたんだ」と主人公は言う。
母親は、「だってあの・・病気が・・・」と言ったりしているのは
もちろんAIDSのことであります。
母は息子の恋人のことも、「あの・・お友達」としか言えず、
息子に「なんで・・ボーイフレンドと言わないわけ? 友達って言うわけ?」
みたいに突っ込まれたりもしています。

やっぱり、1990年代に亡くなっていて、現代に出てきているので、
アプデはできていない、そこらへんが妙にリアリズムで、すごく面白かったです。

さて、死んでいるお父さんは、息子がいじめられて夜に泣いているのを知っていながら、息子の部屋に入ってきて話をしようとはしなかった。

「どうして 入ってきてくれなかったの?」
と 息子に問われて、ぐっと詰まる父親。

「お前をハグしていいか?」と おずおず訊くと、

うん、してほしい。Yes, Please.

しっかり抱きしめ合う父と子。
いかん!  
涙腺大開放祭りです。

以下、細かいことは本当に、観てのお楽しみですので、
これ以上書くのは野暮というものですね。

感想としては、一つはとにかく、暗い!
暗いのが好きな人は、確実にハマることでしょう。
好みの分かれるところです。

そして、夢かと思えば現実、夢から覚めたと思ったのにまだ夢の中、
ちょっと「インセプション」のように、混乱させる作りであるのが面白かったです。
全体に暗いので、最近スタミナのない私にはちょっと疲れる映画でした。

さて、異人たちとの夏」は、実は、両親が出てくるのはお盆の直前なのです。

暑い日本の夏・・

「もう行かなきゃ」
と親たちが言うのも、お盆の後ぐらいな感じです。
戻ってきた精霊としては、いなくなるという決まりになっている・・
ように思える部分があるのです。

イギリスでは、そういうのは織り込めなくて残念であった・・。
お盆ないし。

ところで最近見たリメイクは、黒澤映画の「生きる」を、ビル・ナイが、
カズオ・イシグロの脚本で演じたイギリス映画で、両方続けて観ました。

リメイク版も、すごくよくできた映画だったのですが、
主人公を演じた志村喬の「だめさ」「泥臭さ」「気持ち悪さ」
(だからこそ、愛すべき人に昇華するのですが)、
これがビル・ナイだと、素敵な紳士すぎて、全然ダメじゃなくて、ここは違和感ありました。
でも大丈夫。
別の映画! と思って見たので、両方とも楽しめました。


さて、イギリス映画「異人たち」と、
そのリメイクの元となった「異人たちとの夏」の大きな違いは、
「異人たちとの夏」の主人公は、結構実はいい奴で、明るい。
最後も救いがあります。

幽霊のはずの鶴太郎も秋吉久美子も、やんちゃでノンシャランで、苦悩がない。
ただただ、こじらしている息子に喝を入れにきた感じ。

一方イギリス版「異人たち」は、主人公も、恋人も、なんだか湿度が高い。
両親もちょっと・・悩みすぎ? に思えて、重いと言えばとても重いです。

あの最後のシーンで納得できるか、

え、そこ?

と私のように慌ててしまうか。
ご覧になるみなさんは、どちらでしょうか。

ともあれ、静かに衝撃です。
あのエンディングも全然悪くなかった。

続きます。

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