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日本語教師日記119.出会いは味なもの(4)学習の目的がはっきりしている人(下)

私が出会うことにできる人々で、選ばせていただけるならこんな人というお話をしています。

まず第一に、時差の関係で、無理なくできる人、と申し上げました。

②は、学習の目的がはっきりしている人。

ということで、前回、そのうちの半分を述べました。(上)です。
(下)であるところの、残りの半分は、以下のような人々です。

・パートナーが日本人であり、妻または夫の家族、友人知人と日本語で話せるようになりたい。

この辺は、私が大いにお助けできます。痛いほどわかるからです。

焦りが先に立ってしまう人もままいらっしゃいますが、そういうときこそ遠回りに見えても、助詞の一つひとつもゆるがせにしないこと、いきなり長文を聞いて理解しなければと思わず、自分の側から発する言葉を、ミリ刻みで長くしていくことをお勧めしています。

地域限定では、「名古屋では、母娘の仲が緊密すぎて、父や婿は疎外されがち」
などということも知りましたので、名古屋在住の外国人ご主人たちの疎外感を軽くできるように、いろいろお話しもしています。と言っても、テキストは「清水義範さんの「蕎麦ときしめん」だったりして。いやあれ、本当に役に立つ知識でいっぱいです。書かれたのは古いですが、立派な文化論ともなっていて、日本人の方でも、名古屋へ転勤の人にはお勧めしたいと思います。


たまに「目的」はズバリ、趣味、日本語が趣味という人がいます。
純粋に趣味として日本語を続けたい。
何人かいらっしゃいますが、リクエストに応じて教材を選びます。
日本料理の作り方を話し合うとか、ククパを読む。
そのときに興味のある本を読んでいく。
JLPTに合格して就職の武器に、というようなことではありませんので、
「理解くん」などの 漢字読みアプリを駆使し、できるだけ早い進展をし、
飽きないように、あくまで楽しくをモットーにしています。


・研究者や大学教授で、必要な文献を日本語で読みたい。
こちらも数は多くありませんが、何年かに一度はあります。
論文を書き終えるまでとか、講義の準備ができるまで、のように期限を付ける人が大半です。
私もできるだけ下調べをしたり、出てきた質問はいろいろ調べてお答えしようとしますので、一瞬だけ、まるで大学に入り直したように勉強できることがあります。


今まで経験したのは、

夜半よわの寝覚め物語絵巻の絵を見ながら謎解きをするもの。
「夜半の寝覚め」って、主人公が「寝覚めの君」という美女。不思議な名前ですね。身勝手な男に翻弄される一生不幸な美女。でも最後には悟りを得て、すがってくる男なんかは捨てちゃうんです。
物語全五巻のうち、二巻が欠けているので、この生徒の研究はその謎を解くというのがテーマです。絵巻に現れる植物が何かで季節を推測したり、座っている人の席順で物語の流れを類推するなどが必要で、名古屋大の研究者だった彼女は、日本語は完璧なので、一緒にホームズをするのが楽しかったです。

先生これは・・藤ですか。

ーー違います.様式化された藤はこんな感じです。
かといって・・なんだろう・・花房が垂れてはいるよね。

桐?

ーー桐は坪庭には植えないでしょう。

う〜む・・・

なんて、面白かったです。

能楽と田楽と歌舞伎、それの行われた施設の研究のお手伝いもしたことがあります。こちらも名古屋大学に来ていた研究者でした。
研究のために、普通の人が入れない場所にも入れるい人だったので、
フィールドワークから帰ってきてからのお土産話が楽しみでした。

香港大の教授と一緒に、19世紀のインドから中国への海底ケーブル敷設や、電信の曙についてと、後には、19世紀上海における横浜正金銀行の歴史、同じ時代の上海における電気事業と日本の会社の関わりについて、3年ぐらい一次資料を読んだことがあります。

ジーメンスや、GEなどはそんな昔からあったし、日本碍子がいしや内田洋行、そのほか今も栄えている会社がどんどん出てきます。
また、ズルをする英米の会社に憤る日本人駐在員とか、「それにしても獨逸ドイツの企業の公明正大さは素晴らしい」と褒めちぎっていたり、また、「支那しな」連発で、危ないナショナリズムいっぱいのところもあり、すごく面白かったです。終わってしまって本当に残念です。

この3人のお陰で、旧仮名遣いや、今では使わない漢字にかなり慣れることができました。

研究者のお手伝いは、それが何であってもとても面白いので、いつでも頼まれたいですが、なかなかあるものではありません。もう一回ぐらいやってみたいです。



おまけ。
読もうとする文献が明治のものなので、生徒には読めないときがあります。
送ってくれた写メを見ながら、まず私がリライトします。

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生徒に翻訳してもらったものをチェックし、自分の解釈も入れます。
二人して「意味がわからん」ということがよくあり、
10分ぐらい、画面のあっちとこっちでうなっていて、
ときどき、覚書を入力するキーボードの音以外は聞こえず、シーンとしていたのを思い出しました。

緑で消したのは私と生徒の名前です。

こういうややこしいことをする授業では、Google Docsがなかったらやりようがないな、と思います。

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懐かしいので、一度は書いてみたいと思っていたことです。

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