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日本語教師日記110. 仕事の環境の大きな変化(1) 駆け出しのころ

私の日本語教師生活の半分以上は、日本語学校や、
語学教師派遣の会社に複数属していました。
一つの学校だけでは、到底仕事として、授業数が足りなかったからです。

大抵の日本語教師の皆さんと同じく、私も常勤であったことはなく、
生徒数の上下はそのまま、その週に教えられる(=クラスに入れる)時間数ですから、なんとなく、心安らぐ日々ではありませんでした。
将来についても、ものすごく不安で、
いつまで続けられるだろうかと、しょっちゅう考えていました。

今のように零細個人商店でやっていくことになろうとは、
全く思っていなかった時代が長く続きました。

仕事の入り方ですが、クラス授業以外に、学校やエージェントから、

tamadocaさん、何曜日の何時に、ここに行けますか?

と訊かれれば、否も応もない気持ちになり、
断ると言うことはありませんでした。
修行時代は、自分からお金を払ってでも、経験が積みたかったということもあります。

依頼のあったレッスンの、始まる時間がとても早い。

時間は早くはないが、めちゃくちゃ遠い。
(神奈川・千葉・埼玉の奥地にいくこともたまにありました)

レッスンとレッスンのの間がやたらに長くて時間つぶしに困る。

このように、なかなか大変でした。

でも、教師を配置する学校の方の苦しそうなのをよく見ていたし、
当時は主婦の方が多くて、夜は入れないなどもあり、
理由はどうあれ、断るなどはできないと思っていました。

朝の6時台に家を出て、最後のレッスンの終わるのが夜9時で、
帰ってから、収入の不足を補うためにワープロ入力もやっていて、
昨日と今日がくっついてしまう心地の毎日が続きました。


ある学校は、スムーズなスケジューリングにご協力を、ということで、
他の学校で引き受けている授業も含めた、
全体の行程表を提出することになっていました。

なので、

tamadocaさん、火曜日の午前10時に調布で終わると言うことなので、
12時からのみなとみらい、行けますよね?

というような話がよくあり、「遠いので嫌ですよ〜ん」とかは言えませんので、必死に行きました。

みなとみらい、遠かった。
バスもないので、社長車が毎回迎えに来てくれて、
運転手さんとおしゃべりしながら、延々とドライブしました。
まだあまり、あの辺も開けていなかったのです。


しかしその昔、私がガラパゴス諸島から日本に漂着して、日本語教師になったばかりのころは、まだまだ時代が良くて、ある学校などは、2時間以上授業の間が開くと、なんと、お茶代を! 1500円も、くれました!

老舗の、Sで始まる有名校です。
よかったなぁ、ハイクラス?の学校で駆け出し時代を過ごせて。

その後、どんどん時代が悪くなり、たとえば交通費請求なども、

「自分の好みとか、乗り換えの利便ではなく、
調べた中で一番安いルートだけで申請してください」

という学校も出てきました。

「時間が空いて帰宅するのは自由ですが、
申請した通りの一筆書きの最安の交通費の往復分のみ支給です」

ということになり、なんだか不安で足元がさわさわしました。

そういえば、一回のレッスンで、教師と生徒がそれぞれ、タイムシートというのにサインをすることになっていることが普通でした。
レッスンの終わり頃に急な仕事が入り、バタバタと辞するときなどは、
つい、広げた教材をカバンに放り込むのに気を取られ、サインをもらうのを忘れてしまうこともありました。

月末には、タイムシートや、授業の報告書を「ファックス」で事務所に送ります。
ちょうど、月末の最後の授業のサインをもらい忘れましたら、
来週まで待てないので、今日か明日、もらってくるように言われました。
なんだか、信用されていないようで、気持ちがふさいだのでした。

授業と授業の間の時間が、6時間、7時間と空いても、
一度家に帰る、というのは大変で、あまりやりませんでした。

空き時間にちょうど、見たい映画があることなどはあまりなく、
私はよく日比谷図書館でお弁当を食べ、本を読み、授業準備をしていました。
私の人生で、あれほど本を読んだことはなく、
あれほど、ドトールとプロントとベローチェに
1日に何回も入ったことはありません。
今もドトールが大好きで、通りかかると吸い込まれそうになります。
というか、用がなくても、入ってしまいます。


今の時代、無料のワーキング・スペースもあり、
(東京駅に、無料のアウトドアのができたそうですね。
ぜひ、一回ぐらい使ってみたいです)

これから先、訪問授業をすることがあれば、
タブレットぐらいしか入っていない、
軽い鞄で動き回れるでしょうから、きっとすごく楽でしょうね。

カフェでもショッピングモールのフリースペースでも、
iPadを出して、ネットでいろいろしていれば、退屈はしないはず。
そうそう、カラオケで昼寝したり、
なんなら昼間のフリータイムで絶唱したりもできますね。
コロナ禍、もう2年以上ヒトカラも行っていませんが、
私は一回昼間にカラオケに入ったら、何時間でも歌う方なので、
そんな時間の潰し方も、今ではできるのですよね。

コロナが終わって、東京に帰ることがあって、
また、それなりの服装をして(全身GUコーデではなくて)、
企業を回る日が来たのなら。

うむ、そのときこそは、駆け出しの頃と違って、
笑顔で仕事のオファーを断れることでしょう。

保育園の送迎もなく、幼稚園のお迎えもなく、
学童のお迎えもなく(思えばお迎え人生だった・・)

遠いとか、時間が空くからとかで、断っちゃうわけです。
どんなに楽かしら・・
ほほほほ・・


と思って遠い目をしてから気づきました。

それほど楽でも、私は今の仕事スタイルをやめられないでしょう。

その理由はまたあした。



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