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エッセイ482.「異人たち」と「異人たちとの夏」(4)異人たちと旅する


私の実家は江戸川区です。
家の近くに相撲部屋があり、両国国技館もお隣の駅。
東京スカイツリーと、ディズニーランドの花火が窓から見えます
東京スカイツリーも、ご近所割引があったら登ってみたい。
高いですよね登る料金が。

家の近くには、トロリーバス乗り場がありました。
夜の電線にときどき青い火花を散らして走る路面バスです。
チンチン! と鐘が鳴ったり、方向指示器が飛び出したりするその乗り物は、「今井」という起点から、まっすぐ終点の浅草まで行けた記憶があります。
でもそれではあまりにも距離が長いので、あるいは亀戸まで行って、バスに乗り継いだかもしれません。

・・と書いていて気になったので調べたら、ありましたありました。
長距離で有名だったようです。
私の乗ったのは「東小松川」で、浅草観音前で降りるか、上野公園まで行っていたようです。


こちらは江戸川区のトロリーバスの歴史。

https://www.city.edogawa.tokyo.jp/documents/9204/3-12.pdf


とにかく、子供の頃から、遊びに行くのは浅草、日本橋、上野、お茶の水、銀座でした。新宿や吉祥寺は高校生になって友達と電車に乗って出かけるようになってからです。
そういうわけで、浅草はそう近くはないけれど、意外と知っています。

何度もこの映画を見るうちに、映画に出てくる場所に行き当たったりしました。浅草演芸場は、粋がって行ったことがあります。
東京中の演芸場は、一回は行こうと思っていながら、まだ数席しか行ったことはないです。お見合い相手に池袋の演芸場まで引っ張っていかれ、座布団に座って夜席を見て、家に着く前に電話で断りが来ていたこともありました。
あれはなんだったのだろう。

浅草ビューホテルのオープンに驚いたのも覚えています。
あんな近代的なホテルが浅草寺のすぐ近くにできるなんて、
浅草の雰囲気のぶち壊しだ、と反対があったようです。

ママ友とはるばる、花やしきまでベビーカーで遊びにいったこともありました。あの、民家(のレプリカ)に突っ込むジェットコースターに乗ったのは、でも、もう10年前ぐらいかもしれません。
日本最古のジェットコースターだそうです。



浅草演芸場は、原田が死んだ父親と会う場所ですが、その後父子一緒に家に帰る道々、路上に煙草とビールの自販機があるのが、時代だなぁと今回も思いました。

父親は買った缶ビールを息子に渡しながら、

「おう、ハンカチかなんかで持て、つめテェから」
「俺はでぇじょぶだ」

缶ビールが冷たくて持てない人はいないと思うので、
(だって缶の飲み物って、普通に手に持って飲みます)、

「幽霊だから冷たくても平気」

という伏線なんだね? と思っていました。
ちょっと無理があるけど。

でも後半、母がぐるぐる回していたアイスクリームメーカーの、霜のついた内容器を素手で持つ父親に驚く原田に、母が、
「温かい手で寿司を握っては申し訳ないと、普段から氷を握ったりしている」
と説明します。
どっちなの、幽霊だから平気なんじゃなかったの?
伏線どうすんの、と、毎回思います。

父親が銭湯から帰ってきて、手拭いをアパートの軒先の洗濯物のロープに掛けるのが、大正生まれという気がしました。

それから、母親が遊んでいるラジコンカーや、まるっと取れてしまう缶ビールのリング蓋、前述のアイスクリームメーカー(アイスクリーマーという商品名のものが流行っていました)なども面白かったです。


こういう製品はもしかすると、親たちが生きていたうちにはなかったかもしれない。でも今、期間限定で二人がこちら側にいるうちは、自由に使いたいものを使えることになっているのかもしれない。
・・などと、映画を見ながらいろいろなことを考えます。

くわっしぃ、という音を立てながら剥がれてくる、昔の缶のあそこのところ(名前がわからない)


そういえば、原田が執筆するのは、プリンタが本体のてっぺんについている「ワープロ」であって、パソコンではありません。
インクリボンがなくなると、カセットを変えなければならなかったやつ。

タイトルロールにちらっと出てくるCMは、
「富士通オアシス」と「ペンタックス(カメラ)」だったりします。

父子がキャッチボールをするのは、銀座線田原町駅から出てすぐ、
東本願寺の塀外だと思います。
そのまま直進すると、合羽橋道具街です。

冒頭近くに出てくる、数ヶ月で廃駅になった地下の新橋駅は、
たまにイベントで公開すると聞いたことがあります。
駅を使った探偵イベントが多いので、是非しょっちゅう見せてほしいです。


続きます。


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