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エッセイ496.定点観測終了・あるカレー

昨日、5月25日の土曜日は、日本武道館で「第61回全日本合気道演舞会」がありました。夫が東京に戻ってからの初参加なので、夫所属の道場の出演時間に合わせて観に行きました。
夫が投げられたり投げたりしている動画を撮影してから武道館を出て、私は九段坂を下って行きました。

今日は目的がありまして、それは神田神保町のとあるカレー屋さんでカレーを食べることでした。

このカレーは大変不思議なカレーで、食べる人によって大きく評価が分かれます。片田舎の国道沿いの「カレー・コーヒーあります」の店ではない、長い歴史のある大人気なお店ですので、ここは本当に不思議です。

私は子供の頃からこのお店には月に2回ぐらい行っていて、ここのカレーはとても好きでした。

大人になってからは一人とか、そのときにできた友達は必ずと言っていいぐらい一緒に行き、
「おいしいね!」
「おいしいでしょう?」
と、自分の手柄のように喜んでいました。

異変があったのが、昨年久しぶりに・・十数年ぶりにこちらのカレーを食べた時のことでした。

その前に、私とそのお店との蜜月時代を書きますね。
小学校低学年ぐらいから親に連れられて神保町に本や絵の道具を買いに来ていて、そのときに大抵こちらのカレーを食べていました。
お店は靖国通りに面した1階が店舗で、入り口のドアの上半分のガラス部分に店名が金文字で入っていたような気がします。

カレーにはポーク、ビーフ、エビ・・などいろいろありましたが、私はポーク以外食べたことがありませんでした。私は、少し高い他のカレーを食べたがるのはいけないと思っていたらしく、必ずポークカレーを食べました。

インドカレーは唐辛子の辛さがもちろん辛さの元だと思うのですが、ここのカレーは唐辛子というより、何か黒胡椒が勝った辛さのように思ってきました。
もちろんそれは、私がそう思っているだけです。
ご飯は多め、らっきょうと福神漬けは取り放題です。
カレーはたくさんポークが入っていて、サラッとしています。

途中新しいビルに移り、以来店舗はその地下一階です。

私がよく知っていたのは、頭の形が良くて髪の毛薄め、お肌が光っている感じの店主さん。そのあとで、太い黒縁メガネの若い男性が働き始めて、息子さんかなと想像していていまして、その後、ご老人の方はお店に見かけなくなりました。代替わりしたのかなと思いました。

昨年夫と、15年ぶりぐらいに再訪してみましたら、その黒縁メガネの人はいらっしゃらず(厨房にいるのかもですが)、若い女性がウェイトレスをされていて、でも、メニューや、店の由来なども昔とは変わらないようでした。
家族経営だと勝手に思って来たのは私であって、コロナを経た今は、たとえば料理法なども一緒に、居抜きのようにして、経営者が変わられたのかなとも思います。

お店は二人がけ、四人がけ、そのテーブルも一人で来る人が多く、相席となります。

昔はメニューを開かずに「ポークお願いします」と言っていましたが、初めての夫と一緒だったので、じっっくりメニューを眺めて、
「大人になったのだから、ビーフカレーを食べてもいいかもしれない」
と思ったのです。

それで二人で頼んだビーフ。
グルメサイトでは おいしい! と、そうでもない! が拮抗していますが、カレーのルーが、種類によって全て違うということもよく出ていましたので、結構期待していました。

食べ始めて2分。
黙って食べていた私は、黙って食べていた夫に話しかけました。

「ねえ、この味、説明しにくくない?」
「そうだね」
「まずいとは言わないが」
「言わないが?」
「これから味をつけます的な味というか」
「ほうほう」
「カレーと思っているからカレーだけど、
いきなり出されたら、この汁かけごはんは  なんじゃないなと思うと思う」
「君のいう意味はよくわかります。I know what you mean」

という、なんとも微妙な会話となりました。

元来カレーは、黒っぽくても、ターメリック多めの黄金色でも、
どんなに複雑玄妙な組み合わせのマサラを使おうと、

あの、
辛い➕酸っぱい➕飴色玉ねぎの香ばしさ➕甘味➕なにか

・・的な、どこからどう食べてもカレーでしょうという味がありますよね。

子供の頃に食べていたここのカレーは、どこから食べても美味しいカレーであり、家で母がカレールーで作ってくれた、大好きなカレーが、その延長線上に一層美味しくなった、しかし、カレーはあくまでもカレーらしき味。

なんというのかな、鼻と舌が、
「あっ、カレーじゃん。わーいカレーだ」
と、即騒ぎ出すような、カレーでした。
それが、なかったのです。

「カレーが焦げた時の焦げ味」をなぜ人一倍感じるかというと、昔、ひどくカレーを焦がした時、食べられるところだけでもと思って食べてみたら、ちょっと食べ物とかけ離れた味になっていたため、断念したことがあります。

そのときにメインに感じた、
「香ばしいのとは違う」、
「焦がして風味を出したのとは違う」、
・・いわゆる、キャラメライズされた旨味としてのあれではなく、
「焦がしちゃった的な焦げ味」を強く感じて、それは、あそこまでカレーを焦がさないとなかなか出会えない「風味」?であるからです。

さてそのとき、店を出て歩きながら、夫に感想を述べました。

・子供の頃に美味しかったために、年月を経て美化されていたのかもしれない
・辛さをほとんど感じなかったのも、もう大人だからかもしれない
・あのポークカレーを神の味だと思っていたのは、
昔は他にあまり食べ物を知らなかったかもしれない
・ポークカレーしか知らないので、
ビーフだというだけで違和感があったのかもしれない

コロナを経て、経営者と料理人が変わったこともありあるかもしれない、ということももちろん考えに入れました。
それにしても不思議すぎました。

そのとき夫が、
「これで決めつけてしまわず、次はポークを食べるのがよろしかろう」
と言いましたので、そのつもりでいましたが、昨日ようやく一人で来る機会を得て、ポークカレーを食べて観たのでした。

結果ですが、昨日のポークカレーは、子供の時に食べた至福の味と、去年食べた新しい味との、美味しさでいうと、ちょうど真ん中あたりでした。
焦げ味も、いつもように感じました。

先に出てくるスープも熱く美味しく、ご飯の盛りも昔通りすごかったです。
多少値上げはされていたものの、日本の外食は不当に安すぎると思っていますから、悪くなかったです。

長い間には、お客さんの舌に合わせて変えてきた部分もあるかもしれません。
私の方が変わった可能性ももちろんあります。

おもしろいことに、人間は「味を思い出す」ことはできないのだそうです。
そこがビジュアルと全く違うところ。
なので、私も今何も入っていない口の中に、当時の味を思い出すことはできていませんが、一つだけ確実なのは、あのままの味が今口の中に入ってきたら、きっとわかると思うのです。
ああこれこれ!
と言うと思います。

しかし子供の頃から15年ぐらいまでまで食べていたあのカレーを供されることは二度とないでしょう。

昨日で、あのカレーの定点測定を終えることにし、あとは気楽に、駿河台のエチオピアとか、有楽町のニューキャッスルとか、昔美味しかった覚えのあるところに行ってみたいと思います。

超個人的なカレーについてでした。


左上:富士山の絵がポップになった優美堂・右上値段変わらず御くゎしの「ささま」
ついに取り壊しを待つことになった「顔のYシャツさん」 寂しいですね。




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