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エッセイ378.ケイ、26歳

ニュージーランドは、
Middle of nowhere 
と言われたりします。
訳しにくいのですが、「どこでもないところの真ん中」
って、誰も知らない僻地、みたいな感じの言葉でしょうか。

そこに一生住む人は多いけれども、だからこそ、昔からニュージーランドでは、「若いうちに一度は海外生活の経験を積むべし」
ということが言われ、若者たちはある一定の年齢に達すると、海外に渡ることが伝統なのだそうです。
そういうのを、OSE, Over Seas Experience,  海外経験と呼びます。
今は気軽に海外に行きますから、取り立ててそういうことを言うことはないようです。

ケイは、女学校を卒業してからの数年一生懸命お金を貯めて、OSEとして選んだのがまず、アメリカでした。
その時の年齢が、26歳。

渡航前にしっかり、秘書の仕事を得ていたそうです。
許される上限のスーツケースいくつかにパンパンに荷物を詰め、生まれて初めてのパスポートを手に、船に乗ったのです。

今でも親戚のおばさんなどが、
「ケイとケイのお母さんが、腕を組んで買い物に行くのをよく見たわ。
あんなに仲が良い母娘だったのに、娘の渡航先がいきなりアメリカで、大丈夫なのかしらって、みんな言っていたのよ」
と言うことがあります。

ケイは、母親に毎週のように手紙を書きました。
薄くて青い便箋と封筒で、小さなきちんとした字で事細かに船の旅の様子、到着してからの仕事や観光の様子を書き綴っています。
もしかして当時は、「エアメイル」などという言葉もなかったのではないでしょうか。

1年と少しの滞在を終えケイは一度帰国します。
けれども、それからわずか1年も経たないうちに、今度はアメリカに渡りました。
当時、2回OSEをする人は珍しかったと言います。
イギリスの滞在は3年に及び、仕事の休みにはヨーロッパにも脚を伸ばしたそうです。

1952年2月6日に行われたエリザベス二世の戴冠式も、沿道に立つ群衆に混じって、The ユニオン・ジャックの小旗を振って見ていたとのことです。

イギリスから帰ってきたケイは、当時の平均的な結婚年齢からは遅かったですが、とても寡黙でハンサムなブライアンと会って、結婚しました。
妻は身軽でしたが、ブライアンの OSEは、お隣のオーストラリアだった、というのが今でもちょくちょく親戚の間で出る話です。

ケイに、
「シアトル行ったことある?」
「ヨーロッパではどこが面白かった?」
「イギリスの食べ物はまずいって本当?」
と聞くと、「それはねぇ」と、即答でした。

ケイは二人の子供を育て、四人の孫のいいおばあちゃんとなり、2022年に99歳で旅立ちました。
イギリスを宗主国にいただく、コモン・ウェルスの国では、100歳の誕生日にはイギリス君主からお祝いの電報が届くそうです。

ケイに、
「電報見たいから、少なくとも100歳までは生きててね」
と言うと、
「まあ、やってみるけど、彼女とどっちが先に行くか、よね。
でも私、チャールズからは電報もらいたくないから、
女王には私より1日でも長く生きてほしいわね」

と言っていました。

エリザベス二世は、2022年9月8日に96歳で、
ケイは同年6月21日に99歳で旅立ちました。

電報見られなかった、残念ですお義母さん!
写真は、ケイが日本の孫たちに編んでくれたセーターです。

続きます。




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