日本語教師日記その18.時効かな?(1)
私が今までに、自分からやめさせてもらった生徒は、
うん10年の教師生活の中で、覚えている限りでは一人です。
もう その時の感情は抜け落ちているのですが、
時効かなと思って、ここにちょっと書いておきたいかなと思います。
いろいろいらっしゃったわねぇ。(猫村さんふうに)
プライベートレッスンは、ときとして、
フラストレーションがもろに教師に向かうので、
そのつもりで臨む必要があります。
学校から派遣されて行く場合は、生徒に選択の余地がないため、
相性が合わないと辛いことも多いのは、日本語教師あるあるです。
しかし、人間関係は、いろいろあって面白いし勉強になるものです。
初回のレッスンで会ったときには、要求も多くて大変そうだったけれど、
やっていくうちに、相手も構えていたことがわかり、
長く習ってもらえている人もいます。
学校から送り込まれる先生が気に入らず、
どんどん取り替えている人もいました。
私が派遣されたときには、3人目。
いろいろ聞いていたので緊張しましたし、
案の定、鋭い質問が次々繰り出されて冷たい汗をかきましたが、
いつのまにかしっくりいくようになり、
帰国後にも毎年日本で会っている人もいます。
あれは、教師としての資質を試されていたのでしょうか。
さて 今日私がここでこっそりお話しするのは、
まだまだ若くて経験値も低かったころの経験です。
どうしても受け入れてもらえず、苦い思いが残りましたが、
彼女も今では多分、70歳ぐらいになってリタイアされているかも。
どんな毎日をすごされているかしら。
(また猫村さんになっちゃう)
その方からは、指名と、他からの推薦を受けてレッスンを始めたのですが、
同じ事務所の生徒たちから、事前に励まされました。
驚くかもしれませんが、大丈夫です。
何かあったら私たちに言ってください。
細かいところは忘れましたが、こんなことがありました。
先生、私は昨日、カラー診断を受けて、自分に合う色がわかりました。
先生も、そんな格好をしていないで、カラー診断を受けるが良いでしょう。
「わかりました、ありがとう」
といえば良かったのですが、若気のイタリアン。
ありがとうございます。
なかなかそこまでの時間とお金の余裕がないものですから。
と言ったのが余計だったようで、逆鱗に触れました。
「試してみもせずに、新しい世界を拒否する人は大嫌いです。
だいたい、日本人はみんなそうです」
と返されました。
私もここで、白目でも剥いてみたかったのですが、相手はお客様。
先輩日本語教師から、
なんでこんなことを言われなければならぬ! 😡
と思っても顔に出さず、
相手のおでこにお札が張り付いているのを想像しなさい。
これは仕事、仕事なのよ!
と自分に言い聞かせるのよ、tamadocaさん
と言われていました。
授業の準備はしっかりしていたつもりなのですが、
あなたの教え方では全くわからない。
変な英語を使わないでください。
他の先生にしてもらおうかしら。
など、結構言われました。
いいですよ〜ん、取り替えてくれても!
と言う勇気は、当時はありませんでした。
昔、暑いときにドテラを着て、火鉢に当たって、甘酒を飲む、
我慢大会をテレビで見ることがありましたが、
この生徒さんを教えている間は、我慢大会だと思うことにしました。
一緒に働いているわけでもありませんし。
しかし、鳴呼、別れの日はやってきました。
レッスン内容とは関係なく、彼女がパタンと教科書を閉じ、
私をマジマジと斜めに眺めおろし、こう言ったのです。
私はあなたの隠された意図がわかっています。
はい? 🙄
「そうですか。それは何ですか?」
あなたはそういう服装と髪型をして、こういうオフィスをまわり、
その目的は明らかです。
日本の女性が働くのは、男探しです。
って言われちゃいました。
ちなみに、その頃の私は、背中の半ばまであるストレートの髪、
その日も地味なスーツでした。
スカート丈も常識的な範囲で、スリットも深くなかった。
顔は、普通におかめです。
意図って。😭
あと、彼氏います・・・。
白目を剥きそうになりました。
でも、このときに、
それはどういう意味ですかとか、
授業に関係ないことですよね?
などと私から言い出しても無駄だな、ここまでのご縁だな、と思いました。
私から習って、ハッピーではなかったのだと思います。
教え方も下手だったのでしょう。
「Sさん。どうも、私たちの波長は、あまり合わないようですね。
どうでしょう、学校に言って、もっと良い(better)先生を探されたら」
と言いました。
ちょっと耐え難い沈黙が5秒ほどあったでしょうか。
彼女が白目を剥き、
「わかりました、あなたと違う、betterな教師を探します」
と言って、立ち上がり、中ヒールを床に叩きつけるようにして会議室を出て行きました。
私が出て行きますと、小さな事務所の全員が、私と、
支店長の部屋に入っていった彼女を交互に見ていました。
一番近くにいた他の生徒に、
「どうも、このレッスンは終わったと思います。
これから学校でこの報告してきますけれども、
他の皆さんのレッスンに何か差し障りがあるかもしれません。
そうなったらごめんなさい。
とりあえず帰りますね」
と話し、私も失礼して事務所を出ようとしていたら、
支店長室から、大きな彼女の声で、
That woman!
と言う言葉が漏れ聞こえてきました。
怒っている〜・・・・
やっちゃったかなと、思いました。
あのとき、
「なるほど、そう言う人も多いですね」
ぐらいにしておけばよかったんですけど、それもまた若気のイタリアーノ。
もう遅蒔きとんがらしです。
結局どうなったかというと、彼女一人だけレッスンをやめ、
学校から特に注意を受けることもなかったため、
私は心臓を強くして、そのオフィスに通い続けました。
あれから30年。
生徒の全員が年下で、娘息子ぐらいな人が大半になった今、
思い返せば懐かしいことばかりです。
いろいろなことがありましたが、多少ともそこから学び、
円満な性格になったかどうかというと。
ないです。
普通です。
ただ、昔よりは導火線はずいぶん長くなったし、
あのとき、そのとき、ああ言えばよかったなと思う、ということは、
もう少しは、対人能力が高まったかもしれません。
ときどき思い出す、生徒との別れでした。
トップ写真は、来週から使うことになった教材です。
翻訳家をやっている生徒さんが、
冒頭の、すごく訳しにくいところを、
日本語でどこまで理解できるか、楽しみです。
サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。