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エッセイその72. 私に近い六人の他人(7)カーネル・サンダース

世界中の人が、知り合いの知り合い・・と辿っていくと、大抵の人に繋がってしまうという、「六次の隔たり」、スモール・ワールド理論を追っています。

今日の七人目は、カーネル・サンダース氏です。
夫を通じて、なんと二次の隔たりです。

しかし私は、「遠くから見ただけでも、リアルなら【知り合い】ということで」
というズルをしていますので、結構簡単につながってしまいます。

今回もそんな感じです。

夫がカーネル・サンダース氏に会ったのは、1971年ごろだそうです。
夫が通っていた、カトリック系の男子のみの小学校の真前に、
ニュージーランド初のKFCがオープンしました。
それに合わせてカーネル・サンダース氏がニュージーランドを訪れ、
夫が通っていた、生徒数300人ほどの小学校に講演にいらしたそうです。

生徒たちは校庭の芝生に座り、氏のお話を聞きました。
夫は9歳だったので、お話の内容は一つしか覚えていません。

「少年たちよ。
私がこの歳になるまで健康でいられるのは、

I never drink whisky and I never smoke tabacci

 と言ったのだそうです。

最後の tabacci =タバッキ   てなんですか?

と夫に訊いてみたところ、「タバコ」のことを、そう発音されたそうです。

今朝、ネタにしようと思ってこの話をしていた私は、言いました。

ウイスキーも飲まずタバコも吸わずって、本当かな?
だって、カーネル・サンダースおじさんて、
葉巻をくわえて、バーボンをカパカパ飲んでるイメージない?

夫は動きを止めて沈思黙考・・。

そういやそうだよね?

「でしょう?」

でもさ、小学生300人を前に、酒もタバコもやってます、
それでこの元気です、
とは、言えなかったんじゃない?

と申しておりました。
そりゃそうかもしれませんね!



その後夫が芋づる式に思い出したのは以下のことです。

・カーネル・サンダース氏は、トレードマークの白いスーツに、
髭も何もかも、まったくあの人形の通りであった。

・この小学校は、男子の孤児院も兼ねていて、校内にその子たちの寮があり、
彼らは house boysと呼ばれていた。
この講演のあとで、ハウス・ボーイズのためだけにアイスクリームが振る舞われたが、数が十分にあったため、他の子供たちも食べた。
教室に帰ってきたら、先生であるシスター・マーティンが、
「ハウス・ボーイズのアイスクリームを食べたのは誰です!」
と、ものすごく怒り、夫はこわごわと手を挙げた。


夫が飲み会などで、「私、カーネル・サンダースに会ったことがあります」
と言っても、誰にも信じてもらえないそうです。
私に話すように詳しく話せば、信じてもらえるかもしれませんね。


私のカーネル・サンダース体験です。
ある日、始発に乗るぐらいの早い時間に、仙川駅前を歩いていましたら、
歩道を、カーネル・サンダースと抱き合って踊っている女性がいました。
近くまで行ってよく見ると、踊っていたのではなく、
カーネル・サンダース人形を抱えて、重かったのでしょう、
はい右足、はい左足、と慎重にカーネル氏をスイングさせながら移動していたのが、踊っているように見えてしまったのでした。

ちなみに、「カーネル」が「大佐」という意味だということは、
なんとなく聞いたことがありましたが、つい、そういう名前だと思ってしまいます。

投稿するあたり、調べてみました。

「ハーランド・デーヴィッド・サンダース(Harland David Sanders、1890年9月9日 - 1980年12月16日)は、アメリカ合衆国の実業家で、ケンタッキーフライドチキン(KFC)の創業者。カーネル・サンダース(Colonel Sanders)として知られている。
「カーネル」(Colonel)は名前でも、軍の階級(大佐)でもなく、ケンタッキー州に貢献した人に与えられる「ケンタッキー・カーネル」という名誉称号(名誉大佐)である。日本では「カーネルおじさん」[1]「ケンタッキーおじさん」の愛称が定着している。」

さっき夫とざっと計算してみたら、NZ訪問時のカーネルおじさんは、
多分、80歳を超えていたようです。

道頓堀に放り込まれたりしたこともありましたが、90歳の長寿を全うされたのは、やっぱり本当に ウイスキーにもタバッキにも手を触れなかったからかもしれませんね。




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