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エッセイ297.2022年のラプソディー(20)まだあった!

今年はいろいろなことがありました。
さすがにもう打ち止めでお願いしたいと思っていましたが、
最後にまた一波来ました。

バタバタが始まる前に、勢いで書かないとそのままになるので、
失礼して、書いておきたいと思います。

時系列で言うと:

三月
まず、母が亡くなりました。

次に、その2週間後ですが、夫の生みの母の母が亡くなりました。
コロナ禍で渡航できませんでした。

で、その間、次女の就職〜アパート探し〜卒業〜東京へ転居。
これが十日間のうちにありました。
目が回る〜。


四月
頑張って確保していた日本語教室を閉鎖しました。
家の中、家具や本だらけになりました。


六月
夫の母が亡くなり、一家でニュージーランドに行きました。

で、夫の母の一日前に、夫の実の父が亡くなりました。
うそみたい。

八月
長女が職を得てシドニーに移住しました。

九月
夫の東京転勤が知らされ、アパート探し開始。

十月末、東京に転居。

十一月
昨日11月28日、父が亡くなりました。

ショートステイ先から高熱で入院し、病院でコロナ罹患。
直接の死因はコロナではないが、引き金であったので、
死亡診断書にはそう書かれたそうです。
それどうなんだろう。

死亡後すぐに、封印された状態で病院を出て、
葬儀はできず、火葬場での立ち合いも禁止だそうです。

父は自分が妻より先に行くと思っていて、そういう遺言でした。
常々、
「一家の男が死ぬと、遺族が馬鹿にされるのだから、葬儀は盛大にやれ」
と言っていましたが、母が先立ち、友人もすでに全員鬼籍に。

盛大どころか、超密葬になり、残念に思っているかしら。

危篤の知らせで面会に行ったときは、立ったまま十分間でした。
本人、顔色も悪くなく、
げっそりと痩せているということもありませんでした。
本人の意志で、延命措置はしていないので、
普通に病院で寝ている人、にしか見えませんでした。

「お父さんよかったじゃん。
どこも痛くないし、苦しくないでしょ。
病院だから安心でしょ。
じゃ、また来るからね」

そう言って個室を出てきましたが、それが最後になりました。

父はお骨になって、まもなく自宅に戻ってくるそうです。

愛妻家だったので、「待たせたな」かなんか言って
あちらの岸に行くのでしょう。

なんか不謹慎ですが、喪中ハガキにはどこまで書いて(載せて)いいのかしら。
全員載せると5人になりますが、その誰が欠けても、
今の私と夫、二人の娘はいません。
悩ましいです。

あと、全然手をつけていなかった、今年の「いたばし国際絵本翻訳コンクール」。
(top写真です、難しい・・)

明日が締切ですっ!

これ、昨日と今日でやっつけちゃいました。
これで末席にでも引っ掛かったら、自分すごいと思います。

ちょっとでも何か受賞したら大騒ぎしようと思います。
まあ、ないかぁ・・・。

怒涛の2022年、「翻訳コンクール最優秀賞受賞」で締められたらいいですよね。
どうせ、ここまで盛りだくさんならね。

・・というわけで、いろいろあったオヤジ殿、無事に出発してください。
ちゃんとお見送りしますよ。


サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。